2018年5月 完結編:茨城旅行をして感じた事など


京都から東京まで新幹線で2時間半の旅路だ。朝より出でて、昼には到り着く。そんな距離となってしまった板東への道。
今回巡ったのは、板東市、常総市、結城市の3つだが、常総市と結城市はレンタル自転車があったからちょうど良かったものの、板東市は徒歩しかなく非常に辟易とした。
将門の史跡巡りは広範囲に広がっているので、現在の感じだと非常に巡りにくくなっている。伝説の域を超えないものも多々あるが、それも一つの歴史と考えるならばもっと紹介してもいいのではないかと感じた。

板東はソバというイメージがなぜか定着している。特に茨城県は常陸秋そばなるものを売り出しているし、長野県なんかもソバをやたらとアピールしている。しかし、本当に関東はソバなのだろうか?
讃岐がうどん県などとのたまいだしてから、大阪では讃岐うどん店が溢れかえっている。香川でも高松には讃岐うどん店が溢れかえっている。そして、それらはえてしてまがいものであったりする。
おそらく板東のソバも同じようなものに違いないと考える。江戸に於いてのみ食されたものが板東代表のようになってしまったのだ。延々と広がる小麦畑を見た事もあいまって、板東の小麦文化をもっとアピールしていってもらいたいと思った。

茨城旅行をするにあたっていくつかの将門本を読んでみた。やはり海音寺氏の小説の表現は綺麗で優秀なんだと感じた。描写に自然のものを取り入れていて、人の五感に直接訴えてくる書き方をしている。
これは時代の影響なのかもしれないが、今や自然というものはほとんど無く、山へ行ったとしても大部分が植林されていたりする。生命の旋律は途切れ、機械の音だけがこだまする。これは人の想像力をも犯してしまい、文化的なものが生まれにくい土壌となっているように感じる。
弟子である司馬遼太郎氏の小説もいくつか読んだが、師匠を越えられなかったように思う。表現が軽く拍子はいいものの、読まされているという感覚にすら陥ってしまう。
史伝に重きをおいていた海音寺氏の小説はそんなに数多くはないので、是非とも読んで頂きたいと思う。

最近、森浩一氏と網野善彦氏の対談「馬・船・常民」という本を読んだ。普段注目されない海民という人たちに対する二人の思いを語った本だった。
日本では農民を元に歴史が語られてきたが、それ以外にも様々な職業があった。その1つとして交易する者を挙げている。それが海上交通を担う廻船業であり、陸上交通を担う馬借・車借である。この2つの勢力は密接につながりがあって、現代の陸上交通のイメージでは計り知れないような交易ルートがあったようなのだ。
将門の地盤である下総国は沼や川が入り組んでおり、その川は霞ヶ浦から外海へとつながっている。そして将門は牧を管理して、馬を握っている。あとは特産品さえあれば交易ルートに乗せて力を持つことは簡単だったのかもしれない。あの低湿地を水田にするのは苦労が多すぎる気がするのだ。江戸時代ですら飯沼や山川沼はすごく苦しんでいる。
海の純友、陸の将門、この二人が「交易」というルートで結ばれていたのなら壮大なドラマになるが・・・。

なぜ、ここまで将門の事が気になるのかを少し考えてみた。すると、現代と将門の時代背景が似ているのではないかと感じている事が分かった。
将門・貞盛・公連世代と国香・良兼・良正世代の感覚が違うのではないか?
国香世代は朝廷には従順でその権威をかさにきて、威光を自らの尊厳に置き換え利益を追求している。
それに対して現地とつながりが強そうな将門世代が反発しているような気がする。だから敵対勢力であるはずの貞盛も公連も、将門に意をよせていたように書かれていたのだと思う。

どんな事でもそうだが、答えがあるわけではないので、自分の中で想像し考えて仮定し楽しむ。これが観光というものだろうと思う。



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