2013年8月 7日目:平戸市・生月島


平戸島の西側に位置する周囲30キロにも満たない小さな島、「生月島」へ観光する日です。小さな島とはいうものの、自転車や徒歩では回り切れないので、土・日・祝限定で運行している「定期観光バス」を利用しての観光となりました。明日には大阪に戻らなければならない身でしたので、時間の拘束がありフラフラ〜ッと寄り道できない状態を選択しておいてよかったです。
また、ボランティアのかたがバスの中で解説もしてくれています。

《コース》
平戸港広場⇒島の館⇒ガスパル様⇒大バエ灯台⇒塩俵の断崖⇒平戸港広場

★島の館
生月島の歴史資料博物館。
「捕鯨」と「カクレキリシタン」が展示のメインになっており、この2点が生月島の歴史上の特徴だとも言えるでしょう。

クジラ(生月島では「勇魚(いさな)」と呼んでいた)の捕鯨は成功率が低くて命がけの漁だったらしく、他所から出稼ぎに来ていた漁師のお墓が残っています。
クジラを見つけると狼煙を上げて他の船団に伝達する、旗を振って指揮を執る、クジラを追い詰める、弱点の鼻を突きとどめを刺す(羽刺し)などと、それぞれが役割を持ち集団連携が最重要の漁でした。この動きは海賊を彷彿させますが、それもそのはずで、かつて有名な海賊が存在していた地域とクジラ漁が盛んな地域は重なっていることが多い。言われて見れば思い当たることがあり、東北・北海道の海辺の人たちにもひとまずはクジラを食べる風習はありましたが、捕鯨ということは無いと聞いたことがあります。あくまでも海辺に打ち上げられて死に絶えたクジラを食べるのだそうです。地形的な理由もあるのかもしれませんが、海上での集団戦に強い一族(海賊)が存在していなかったことも大きく影響していそうです。
南蛮貿易に代わり平戸藩の大きな収入源となった捕鯨も、乱獲によりやがては明治時代に入ると一匹も捕れなくなり衰退していきます。

「隠れキリシタン」には踏み絵、迫害、鎖国政策と言ったキーワードが付いてきますがこれを「前期」と区分し、もう1つの「隠れキリシタン」は島原の乱以降と限定することができます。幕府や藩の圧力に屈したかに見えた隠れキリシタンは、ますます水面下に潜り250年近くもキリシタンであることを隠し続けた結果、本来のキリスト教とはかけ離れた信仰形態になってしまったというものです。彼らは明治時代キリスト禁止令が解除になり教会建設ラッシュを迎えたにも関わらず、教会に戻らないことを選択しました。 キリスト教ではなくガスパル様を崇める、賛美歌ではなくオランショを歌う。そしてカクレキリシタンの最大の特徴が、日本民俗文化と見事なまでに融合しているというところにあります。 そこに「伝承する基盤」もしくは「受け皿」の摩訶不思議さを見る思いがします。日本には伊勢講や庚申講など、村々で信仰の集まりがあったことは周知のとおりですが、宣教師がキリスト教を布教した当時から「キリスト講」とも言えるような組織が村々で存在していただろうと言われています。つまり、自治的にキリスト教を受け継ぐ基盤があった、と、そういうことだと思います。


カクレキリシタンの聖地の1つ「ガスパル様」。生月島で最初の殉教者であるガスパル・西が処刑された場所です。この見晴らしのいい丘一帯と十字架の殉教石碑ひっくるめて「ガスパル様」と観光紹介していることが多いです。平成に入ってからカトリック信者によって立派な十字架の石碑が建てられ毎年ミサが執り行われていますが、十字架の裏には風化した墓石がひっそりと佇んでおり絶えず誰かが手向けているのか新鮮な花が供えていました。「ガスパル様のお墓」です。もともとは大きな松の木が生えていて、これを「ガスパル様の松」と呼んでいたそうです。
十字架を建てたことによって、まさにここでガルバス様が亡くなったかのように十字架に向かって礼拝したり賛美歌を歌っているのだろうと想像しますが、もともとはもっと「この辺り一帯」というようなぼんやりとした広い範囲をガスバル様とし崇拝していたように思えます。日本人の自然崇拝・土地崇拝と絡み合って。

大バエ灯台。遥か彼方の水平線に浮かぶ壱岐島、空と海が一体化したような青さが、天気が良ければ灯台から見れます。写真は、青い海と濃緑の断崖に点在する牧場という組み合わせが美しいと思って撮りました。帰り道、急傾斜の山あいを通ったのですが、そこも牧場になっていました。平地でないと生きていけないとばかり思っていた牛が、傾斜のきつい場所で牧草をついばんでいたのです。たくましく育った牛ならさぞかしミルクも肉もうまかろう。 定期観光バスによる観光地めぐりは午前一杯で一通り終え、解散となります。その後、昼ごはんに選んだのはベイリーフという定食店でした。表のメニューに「平戸牛定食、平戸牛ハンバーグ」とあり良さそうだったので、さきほど見かけたワイルドな牛の姿を思い浮かびつつ、ここに決定しました。しかしながら、んん?物足りなかったなぁ。 どういう繋がりなのかは判りませんが、泊まった旅館と同じ名前の「井元」コレクションという看板があり、旅館の人は個人的に集めたコレクションを展示しているので見たければどこそこに行ったらいいと教えてくれました。ちなみにこの辺りは「井元」姓が多いです。
料金を支払ったら、
「これから市役所に行くから早く見学してくれ」
とせかされたのですが、世間話が大好きな方のようで「時間大丈夫?」と思うくらいしゃべっていました。 展示していたのは、「カクレキリシタン」が使っていた神具、インドの仏像、春画でした。 仏に見える掛け軸は、聖母マリアをなぞっています。ガウンみたいなのは洗礼などの儀式の時に使っていただろうと…無造作に展示されていましたが、これまでに見たどのキリシタン展示物よりも手垢にまみれて、人間臭く、迫力がありました。
どうやって手に入れたのか?と聞くもニヤリと笑うだけで答えてくれませんでした。
「「何でも鑑定団」に見せたら面白そうですね」と言ったら
「はっ!あんなも」のとニヒルに苦笑いされました。
面白い持ち主さんでした。
長崎県最後の夜にふさわしく、ムードたっぷり幻想的な外灯につつまれて(!?)
夜ご飯はちょっと洒落たピザ屋の大渡長者で、ビールを飲みながら珍しい素材のピザ、スパゲティを頂きました。近くの席でお盆で帰省してきているらしい若者2人がいまして、平戸の思い出話で盛り上がっていました。ごくごく当たり前なんですが、ここを故郷としている人もいるんだな〜と思いながら聞いていました。


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