2013年8月 4日目:小浜市・雲仙市


諫早から島原半島の西側に行く交通手段はバスになります。以前は島原半島をほぼ鉄道が回っていたみたいなのですが、今は廃線敷しかありません。そしてバスも長崎県営は島原半島方面から手を引いてしまい、もっぱら島鉄バス会社が運営しています。それでも田舎ほど車保有率が高いので、そのうち島鉄バスも運行本数を減らすかも…なんて思ったり。
さて、諫早バスターミナルから橘湾を右手に眺めながら小浜バスターミナルへ向かいます。その2つのバスターミナル、昭和生まれなら懐かしい…と思わず寄り道したくなる雰囲気を残しています。1つ1つターミナル内のお店を眺めるのもいいでしょう。小浜BTにいたってはスーパーが併設しています。

小浜(オバマ)BTで降りると、大きなオバマ大統領の像がお出迎えしてくれます。大統領引退しちゃったらこの像どうするのかしらね…負の遺産になりそう。
近くに観光案内所もあるので地図やパンフレットを収集するのも良いでしょう。国道沿いをしばらく歩くと、小浜の中心街(?)温泉旅館の集中地に辿り着きます。ここは「温泉の熱量日本一」を誇る温泉街なのだそうです。温泉量ではなく熱量であることがミソです。高い熱量を活用した蒸し釜で野菜をいただくレストランなんかもあるみたいです。
こちらは熱いお湯、一方反対側の島原市は湧き水。1つの島に面白い。

「よしちょう」でアジ丼と海鮮丼をいただいたのち、国道の裏の小路へ回りました。旅館の裏口や旅館で働く人(もしくは経営する人)の民家などが立ち並ぶ、いわゆる「ケ」の空間に相当するのですが、こちらは雰囲気があります。温泉湯の排水が流れて行ったり、湯の華がこびりついていたり、精郎流し用の舟の製作途中のとか、些細ですが日常生活を垣間見ることができます。
車がまったく通らない道という気安さも手伝って気ままに歩いたのち、坂道を登って「小浜歴史資料館」を目指します。

明治になって島原城から買い取ったという「長屋門」をくぐると、蒸気を吐き出している高い櫓が目の前に現れます。鳥居を建てて崇めていることからも判るようにこれが温泉の源泉であり、「所有する権利」を有し源泉管理していたのが「湯太夫」と呼ばれる役職でした。
島原藩主(松平氏)より与えられるもので、当代で確か…14代だったか15代目?いまでも続いている本多家が湯太夫として管理していました。そうなのです、本多湯太夫館の跡に小浜歴史資料館が建っているのです。
もともと本多家は三河国の人だったらしいです。大和国の松倉氏が島原藩主に封せられるとつきしたがってはるばるやってきました。そして松倉氏がちょくちょく宿泊する小浜温泉を管理していたところを、島原の乱が勃発してしまい、本多家は幕府の制圧軍に加わったことでその功が認められて「湯太夫」に任ぜられました。

小浜・雲仙の地図です。大変です、辺り一面火の手が上っております(笑)その土地のイメージが地図に表現されていて面白いですね。そしてそれは熱量日本一と謳われる温泉であるとともに、平和な江戸時代の幕開けにあって幕府や中央を震撼させた、唯一の戦乱の記憶とも重なっているのかもしれません。
ちなみに、雲仙には加藤家が「湯守」として管理しており、その末裔が今でもホテル経営しているとのことです。一方、本多家は源泉の熱を活用した発電所を作っているんだとか。源泉利権ですかね。

なんと。あれだけ激しくキリシタン弾圧を執り行ない、有名な「雲仙の地獄責め」までやってのけた松倉重政氏はこの小浜の地で温泉入浴中にお亡くなられたとあるではありませんか。一説には幕府の暗殺だとも言われていますが、因果ですなぁ。

小浜BTから雲仙までバスで山道をのぼって40分くらいです。島原半島の橘湾側は山がそのまま海へ降りていくような地形が多くて、かろうじて海沿いを走る国道が唯一の平地というような印象を受けます。
さて、雲仙は有名なキリシタン弾圧の1つ「雲仙の地獄責め」の舞台となった場所です。今では温泉街として観光客を集めており、旅館・ホテルが多く建っています。思ったより湯気猛々しくないのは真夏の訪問だったからなのでしょう。
湯気の立っているスポットそれぞれには「〇〇地獄」と名前が付けられ、由来もパンフレットで知ることができます。しかしながら、それぞれの名前を眺めていると「邪見地獄」「大叫喚地獄」は仏教でのお説教(悪いことをしたらこのような地獄に落とされる、八熱地獄など)の影響を感じますし、「清七地獄」はキリシタン弾圧で殉教した人名が由来になっており、挙句の果て地獄ではありませんが「真知子岩」は映画のロケ地になったことにより名づけられたとのこと。
「スズメ地獄」がもっとも普遍的な名づけだと思うのですがどうでしょう。(動物による温泉発見、動物による治癒知見が、温泉名の由来になっていることは全国各地でよく見られる)

ひととおり、雲仙地獄を散策したあと、裏手の山に足を向けます。正面にみえるのが普賢岳、右手には矢岳があります。日射を遮る山道で涼しいひと時を過ごせました。
夕日になってきたので、「カンザラシ」で疲れを癒し、帰りは反対側の島原市を経由として諫早へ帰ります。

すっかり日の暮れた諫早駅。駅前の食堂にてお腹を満たし、ホテルへ帰ります。


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