2017年5月 鹿児島8日目:旅行最終日に「水俣病」を考える


ホテルで朝食を取った後、だいぶ早い時間にホテルを出たので、ゆっくり歩いて市立水俣病資料館へ向かうことにします。立派に整備されたこの広い平地は、水俣湾に流し続け、長い年月をかけて数トンも蓄積してしまった水銀ヘドロをかき集め、埋め立てた「エコパーク水俣」と言います。病院やクリーンセンター、道の駅、運動場、さまざまな施設が、計画的に建築したという感じで建っています。ちょうど薔薇祭りをやっていたようで、それ目当てに多くの車が通って行き、賑わっている道の駅では、玉ねぎが特産品らしくて、たくさん売っていました。 市立水俣病資料館は9時開館、ちょうどいいタイミングで到着いたしました。建物はイタリアの有名な建築家の手によるものなんだそうですが、ここに来てまず戸惑うのは入り口がどこにあるか判らない!という事に、誰しもがなると思います。不思議な作りの建物ですが、中に入るとそこは別世界。知りたかったような知るのが怖いようなそんな世界が広がっています。
事前にネットで色々調べたり動画を見ていた我々でしたが、展示場自体もそんなに広くもなかったのですが、1つ1つに興味が湧いたので午前いっぱいの3時間以上、かかってしまいました。
市立なだけあって無料で閲覧でき、客もちょくちょく入っていました。そして素晴らしいことに、受付に居た職員さんは色々とご存知らしく、展示物のいちいちを質問しても気持ちのよい回答が返ってきます。後から思い返して「これも聞きたかった」という事や、もっと勉強して置けば良かったという事も思ったりしました。
水俣病資料館見学については、後日、改めて別頁にて思うところなどを書きたいと思います。 水俣病資料館を後にし、無機質な埋立地から東の内陸部へ向かって散策すると、ちょっとした岡があって、斜面に建つ家々は昔から存在している土地のようでした。岡の上から撮った写真で説明するなら、写っていませんが右(西側)に広大な埋立地が広がりそのまま行くと水俣湾になります。そして反対の左が内陸部です。遠くに小高い丘が連綿と連なっていることから判るように、眼下にある家々は、埋め立てる前は深く食い込む入り江に接する集落でした。小高い丘から走って百間港(今は埋め立てにより消失)へ飛び降りて、その日の夜ご飯用の魚でも貝でも獲っていたものだったという水俣病患者さんの証言があるのは、この辺りかと思われます。百間港とは、長い間、汚水を海に流し続けるという役割を担わされていた港でした。 近くにあった金比羅神社の鳥居には、「大正14年」と年号が刻んでありました。まだ水俣病がこの町に存在していなかった頃ですね。そして、やはりこの辺りの土地が古くは漁村として栄えていたことを物語ってもいます。
一通り見渡したあと小高い岡から降り、チッソを巡るように廻って商店街へ、昼御飯を頂くことにします。水俣資料館で頂いたパンフレットや証言集を読むのが止めれなかったので、何を注文し食べたかすらも記憶が…。無料で頂けますので、興味のある方は受付で声をかけることをお勧めいたします。 遅い昼御飯となってしまいましたので、午後から駆け足で行ってみたいところを廻ります。まず手始めに向かうのはこちらの水俣川です。さきほど登った小高い岡のうしろ、すなわち百間港より岡を越えた北側を流れる川です。こちらにも水俣病の被害が発生していましたが、水俣川での被害発生状況が、入り江(港)と異なっているため「水銀ヘドロによる埋め立て」は行なわれていない模様です。 川に沿ってどんどん再び海にむかって歩いていくと、小高く造成した盛土が見えて参りました。水俣川水銀汚染の原因といわれている「八幡プール」は盛土の奥に隠れていて見えませんでした。近づいて見学したくても、大型トラックがひっきりなしに行き来していて交通整理員らしき男性が数人立っていましたので、立ち入りしにくい状況でした。ここ一帯はチッソが八幡プールを建築するために、熊本県から購入した古くから使われている埋立地です。
大型トラックの通行が激しいということは、八幡プールの埋め立て作業が今も行なわれているという事なのでしょうか?こちらは、どれくらいの汚染濃度が残っているか検証公表もないまま埋め立てようとしているもので、しかも、今もなお残滓流出が続いているのでは?と言う指摘もあります。 そして、水俣湾です。眼前の八代海は、「不知火海」という美しい別名を持っています。 水俣駅前の商店街。
かつては、チッソの終業ベルとともに賑わいだす、そんな町だったと言う。

他にも、水俣歴史考証館やエコパークの海沿いにも行ってみたかったのですが、もう時間がありませんでした。いつかまた来る時のために、関西に帰ったら色んな本を図書館で借りてみよう、と胸に誓うのでした。(そして、現時点でまだ数冊しか読んでいませんが、闇の深い問題なのだと考えさせられます。)

そして、新水俣駅を経由し熊本駅に戻ります。
熊本駅構内2階の本屋で立ち読みした、熊本学園大学が出している冊子が面白くて、しかし号数が多いので買うかどれを買うか愚図愚図していたところ店員に閉店だからと追い出されてしまいました。これも旅行後「ズバッと買えば良かった」と何度も思い返したものでした。熊本学園大学は「水俣学」を柱としたユニークな教育課程を持っているらしく、インターネットで定期的に公開講座をやっているようです。「水俣病」から経済とは豊かさとは何かと学ぶ、善悪の価値観の転換が重層的な世界を知る、水俣市の方向性について考える、いろいろあると思います。

最後の夜は、熊本市の古めかしく風情のあるチンチン電車で繁華街に出かけ、ラーメンを頂きました。繁華街のすぐ目の前が熊本城なんですね。去年(2016年)の熊本地震の影響で崩れてしまった熊本城の石垣修繕作業が大掛かりに行なわれているのが見えました。去年断念して今年やっと来れたこと、旅行が濃い中身になれたことに感慨深さを覚えてしまいました。


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