2017年5月 鹿児島1日目:噴火の恐れ有りのニュースが飛び込む


早朝の車中、まどろみながらニュースで桜島が噴火したなどと見たような気がしましたが、すぐまた眠りについてしまったのでした。
次に目覚めた時は8時20分着の熊本駅に近づいた頃で、鹿児島にはあと一息です。熊本駅のまん前の停車駅ではチンチン電車が短時間のうちに何両も入れ替わりやって来ており、「九州らしさ」を感じます。モーニングを済ませたのち南下する先は、新幹線で数多くのトンネルをもぐって1時間程の「鹿児島中央駅」です。
迷子になった時の目印に丁度良かった赤い大回覧車と、鹿児島中央駅。

空を見上げてみると、皐月らしい澄んだ青空でした。相棒はというと、初めて降り立つ鹿児島の地が大阪と変わらない街並みであったことに、西郷隆盛が生まれ育った街への勝手な憧憬を膨らましていただけにショックを受けておりました。
そんな相棒は優しく放置してあげて、情報収集すべくふるさと館近くの案内所へやって参りました。観光マップを物色したり薩摩ラーメンの場所を聞いたりしたついでに、噴火した割りに綺麗な空であるのが不思議だということを尋ねました。ワクワクするような返事を期待していたんですが、風の流れだったりその日によって火山灰の降る地域が変わるが、まぁ1年に1度はあることだしそんな大したものではない、という反応でした。 甲突川と桜島。心なしか桜島が噴煙で霞んで見える気もする。

教えてくれた薩摩ラーメン「豚とろ」にて豚トロラーメンとワンタンメンを頂きました。普通麺でしたがスープが博多系でどろっとしています。そこそこ濃く、麺にスープが絡みつくのがちょっと辛かった…。
店を出てから、すぐ近くに雰囲気の良さそうなお店を発見しました。機会があれば入ってみたいと思いました。窓枠が緻密で凝っていますよね。 幕末の著名人の像や「○○家の跡」の石碑がやたらと多いので、午後からはマップを片手に、読んだことのある幕末小説を思い出しながらの散策となりました。財政改革によって薩摩藩の礎を築いた人「調所笑左衛門」の屋敷跡は、高層マンションになっていました。隣の公園には「平田」という人の像が立っていて、この人も斉彬や西郷と敵対していた人ではなかったかと記憶を必死に辿るも、それは思い違いで木曽川改修の薩摩義士の1人でした。そういう逸話もあったわと相棒と苦笑い。 家老、平田靱負(ゆきえ)の辞世の歌。改修完了させたあと切腹し果ててしまわれました。

維新館に行く途中、薩摩義士を弔う菩提寺があり、亡くなった人の名前が刻まれた慰霊碑の中に、薩摩人ではない1人が人柱として犠牲になっていたらしきことが読めて、強烈に目が引き寄せられました。切腹の多さと言い、なんという壮絶さ。ぜんぜん逸話なんかじゃないですよね。
どういう経緯での人身御供だったのかが気になり、後日ネットで調べたところ、木曽川の地元岐阜の人で工事の最大の難所に自ら飛び込んだそうです。
※画像クリックで拡大写真が見れます。 火山灰の指定捨て場です。指定の火山灰袋もあるらしく、一般ゴミと区別をつけるのは何か違う用途があるのだろうかと考えてしまう。 迷子になった時の目印、パート2「大久保利通」です。ここを通るたびに見上げずにはいられない。 甲突川そばの一帯が、西郷、大久保、伊地知、村田新八、大山、東郷など幕末から近代にかけての偉人を数多く輩出した加治屋町です。区ごとに存在していた薩摩特有の教育体制「郷中」が生み出した賜物だと言われています。しかし、西郷隆盛というその人が郷中教育において多くの影響を後輩に残したことが大きかったのだと思います。郷中システムは人格形成に刺激をもたらし易い人間関係のシステムだったに過ぎないのだということです。ともかくも、西郷の育った加治屋町には「生誕の地」の石碑が乱立しており、それだけでもこの1つの、小さな小さな町が日本の近代化にいかほどの大きな影響を与えたのか窺い知ることが出来ます。
G・Wのイベントでもやっているのか、甲突川の遊歩道に露店や苗販売所が立ち並び、大変な賑わいを見せていました。古本露店も立っていて『南州遺訓』の購入を迷ったのですが、維新館から出て来た時にまだ残っていたら買おうという事にし、入館しました。 維新館で面白かったものといえば、西郷隆盛のリアルすぎるお面と(笑)館内作成と思しき『鹿児島一番新聞』の掲示コーナーで、桜島の海底に特殊な生物が居て、普通の生物にとっては有毒となる硫化水素を栄養として生きているという記事、あとは竹の子の記事です。
本題に戻って「維新」で面白かったのは、名君と誉れ高い島津斉彬が建てた「集成館」で開発していた反射炉やモールス信号などの紹介と、薩英戦争のイギリス側が記録した配置図です。
外に出てみると『南州』はもう無くなってしまいました。ご縁が無かったということで…と自分を納得させつつ、次のさつまいも館と照国神社に向かいます。「さつまいも館」は薩摩芋の加工品しか売っていないようなお店で、お土産を買うなら候補に入れてもいいかもしれません。焼酎の飲み比べセットが300円でやっていましたので、まだ日は高いけど呑んでみます。普段から全く焼酎を飲むことがないのですが、お酒は大好きなので味はそれなりに判ります(笑)黒糖焼酎はこってりした癖のある甘みなのですが、アルコールが濃度が高くてよけい甘みの違和感を感じてしまいます。日本酒好きには理解しがたい風味なのかもしれぬ。
相棒は、照国神社に向かうとき芋キャラメルに芋ケンピをひたすら頬張っていました。あっという間に無くなるくらい必死に食べ過ぎて、せっかく描いて持って来たお手製地図を落としてしまうという失態をやらかすのでした。しかもそれを、私のせいにするんですよ?
キレ気味の相棒をなだめながら一緒に探し回り、どうにか誰かが入れて(捨てて?)くれたらしいゴミ箱の中のお手製地図を発見した時はどんなに安堵を覚えたか。相棒もようやく機嫌がよくなり本当にこの人大変ですよ。
「別格」!!全国でも数少ない、明治政府によって付けられる功労のあった人を祭神とする神社のランクです。祭神は、島津斉彬です。
境内には、斉彬、弟の久光、最後の藩主・忠義の像が並んで立っていました。久光ファンの相棒は、遠くから見ても「あれに違いない」と判別がつくんだそうです。 照国神社の本殿。島津の家紋と、菊紋が仲良く並んでいるのが胡散臭い…。

集成館と並び雄藩薩摩のシンボルと言える「天文館」のあった跡が、今は大繁華街になっています。観光雑誌やウェブに載っているような店なら大体この辺りにあり、「むじゃき」もその1つです。白熊アイスのお手軽版(本格版は少々時間がかかるらしい)は、練乳が味わったことのない甘みでした。コンビニの白熊のほうがおいしいと感じるのは、これはもう慣れですよね。
何かもう本当に難波あたりの商店街に似たような繁華街だったのですが、これはすごいわと思ったのが、競艇、競輪、競馬それぞれのサテライトがそろっていたということです。どれも人がいっぱい。
商店街の先っぽには日常生活感あふれるスーパーがいくつかあり、とにかく野菜が安いことには驚きます。トマト(中サイズ)4個で120円とか。あと維新館の瓦新聞でも書いてあったんですが、鹿児島では竹の種類が多く年中なんらかの筍が採れるんだそうです。今の時期(5月上旬)だとコサンダケと大名竹が山積みになっていましたが、どちらも初耳です。(私は孟宗竹・真竹・破竹・姫竹しか知りませんでした)
スーパーで鹿児島と言ったらコレ!という商品を見かけ、今夜の食べる物を決めました。「鳥刺し」と「きびなご」です。 西郷隆盛のマネキンとご一緒に。 キビナゴ刺し、さつま揚げ、アジ焼き、鳥刺しをがっつり頂きました。
鳥刺しという生肉を食することに抵抗があったんですが、皮の部分も炙っているのでおいしく頂けます。モモや胸によってこりこりっとした噛み応えが違っていて、部位別に食べてみるのもいいと思います。鹿児島旅行を考えている方がいらっしゃったら、是非お勧めしたい一品です。
キビナゴは淡白すぎて物足りないくらいでした。揚げての、南蛮漬けか煮浸しにしたほうがおいしいのかな〜?
初日も、いつものことですが、予定通り事が進まず一日が終わってしまいました。
東郷示郷流資料館
さつま路か熊襲亭
駅の裏手の山

また鹿児島市に来ることがあったら、行きたい所リストです。
とりあえず、桜島の噴火が大したことなくてよかった。


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