6時に鹿児島中央駅から出発。 朝食付きのホテルに泊まったのに、利用したのは初日と二日目だけでした。もったいない…。本日も、ホテルの食堂が開く時間が間に合わなかったので、朝食抜きでチェックアウトしました。そして鹿児島市とお別れです。 薩摩地方には、海沿いと宮崎県との県境に沿って南北に走る2つの路線がありますが、それらを結ぶ東西の路線はいまや廃線となってしまい、内陸部に行くならバスしか交通手段がありません。宮之城駅を目指す我々はバスに揺られて、せっかくの風景を見ることもなくひたすら寝てしまいました。 廃線になってしまった「宮之城線」は、かつては金山で活力溢れていた大口と、海の幸溢れる川内とをつなぎ、海鮮物を積んだ行李を背負う女性や鉱山労働者、労働者相手に商売する人たちで賑わっていたのかもしれません。その沿線の駅のひとつに「宮之城駅」というのがあります。 「宮之城駅」跡に建つ土産センター(観光案内所?)が、今ではバスの最終停留所になっており、鉄道マニアなら隣の「鉄道資料館」や裏手にあった線路や車輪などの鉄道遺跡のほうが魅力的でしょう。 ![]() それがこのお食事処、「湯乃元」です。旅行するとき予約するのは宿泊先のみ、がスタイルの我々が珍しく予約した(前日だけど(笑))お店です。 天然うなぎが狙いだったのですが、かなり先まで予約が入っているとのことだったので、今回は養殖で、それでも自信を持ってお勧めできると言ってくださいました。おぉ、期待で胸が膨らむじゃあないですか。 ![]() 賑わっていた時代もあったのでしょうか?団体旅行客向けであっただろうと思われる旅館の多くが廃屋と化しており、哀愁めいた雰囲気が町全体を覆っているように見えました。私の生まれ故郷も温泉の町なのでこういう雰囲気は好きですけどね。 バスを乗り継いだ土産センターでは、竹細工ばかりが並んでいました。宮之城の属する「さつま町」は、全国でも有数の竹の町であることを、町のあちこちでアピールしています。竹の何が有数?産地?それとも種類?と思いきゃ、竹林の占有面積が日本一なんだそうです。姶良市でも充分竹林だらけや…と思っとりましたが。 ご覧の通り、宮之城温泉への入り口では竹のオブジェが歓迎してくれています。写真では見えにくいけど、竹をかたどった街灯、道路の並木も竹でした。とにかく竹アピールです。 ![]() 鹿児島はウナギ(養殖)の生産量が日本一で、指宿・大隅・川内がよく生産しているのだそうです。暖かくてミネラルたっぷりの水がウナギには重要らしく、温泉で有名な十津川(奈良)も最近、温泉を使ってのウナギ養殖を始めたと聞いたことがあります。もしかしたら温泉のお湯を川に流しているのと関係しているのかな?と(流しているかどうかも判りませんけど)思ったりもしています。 ![]() 川辺で石を拾ったり手を浸して遊んだりしながらどんどん歩いていくと、九電の湯田発電所にたどり着きました。もうこんな所まで歩いてきたのかと驚き、湯乃元食堂へ引き返します。昼御飯前のちょっとしたいい運動になりました。ちなみに、湯乃元さんの天然うなぎはこの川内川で獲れたウナギだと聞いていた事もあり、ウナギが居ないかなぁなんて思いながら見て歩いていたんですけどね。 メニューでは、「鮎、川えび、川カニ、うなぎ」などが見え、川沿いの食堂らしさを出しています。さて、いよいよウナギです。白焼きウナギとうな重を注文いたしました。店の庭の水槽にはウナギが3,4匹泳いでいて天然だそうです。どれもこれも立派なウナギなんですよ、じゅるるる。盗まれないのかしらん。 ![]() 我々はカウンターに座っていたので、主人が色々と話しかけてきます。とても明るいお人柄で、店内も活気があるので、宮之城温泉の雰囲気にそぐわないな、とすら不謹慎なことを思ってしまいました。 ![]() なんでお米をど真ん中に置いての、写真かいな? お米がメインですか、ああ、そうですか(笑) 苦笑いしたくなる写真ではありますが、左に写っています器が竹なのがすごく気に入りました。これは真似したいベスト1に決定です。秋の夜の竹取りが一番いいらしい(西吉野(仮名)さん談)ので、今年の秋に是非作ってみたいです。 ウナギは非常にうまくて、今まで食べた中では1,2番を争うかも。とにかくふんわり感がいいんです!今思い出しても、よだれが出そう。 帰り際、「道がわからなくなったら電話しなさい」と名刺をくれました。この接客サービス精神の高さ!客も次々とやって来てほぼ満席となっており、寂しい温泉町の中にあって唯一活気のある空間となっていました。また来ることがあったら、川カニやエビが食べてみたいです。 ![]() 湯田の八幡神社です。鳥居の両脇に安置している像が目を引きました。仁王像だと思いますが、ジオングのごとく…いや腕すらもついてないか。破損が激しすぎるこの容貌は、廃仏毀釈の著しかったことを物語っています。全国的に幕末〜明治がピークだったことを考えると、薩摩藩主の忠義かもしくは権力を掌握していた久光あたりの頃でしょうか。 ![]() 破壊されるだけされて略奪の対象にもならなかったような石造物がよくぞここまで持ったものです。 宮之城を出ると、たばこ畑が一面に広がっていました。おばあちゃんに道を聞いたりしながらどうにかして「大角」停留所でバスを捕まえることができました。 そこから1時間くらいで大口駅に到着しました。静かな住宅街という印象のある町でした。早速ですが、旧薩摩大口駅跡に建つふれあいセンターから薩摩大口の旅をスタートさせます。 ![]() 今回の薩摩大口旅行の目的地「菱刈金山、高熊山、久七峠」を挙げてみたら、「金山なんか行っても見れないし行く意味ない、高熊山は徒歩なら2時間4km、久七峠は歩いては無理」とせっかちな性格のようで簡潔に答えてくれました。 「よし、じゃぁまず金山を説明しよう、後でビデオも見せたるわ」 秘蔵の鉱石標本を見せてくれたりビデオを流してくれたりと、展示物を回るよりも、男性の事務所にこもっている時間のほうが長かったくらいでした。 「さて、後は海音寺やな」と促されて2階の図書館へ降ります。鹿児島県立図書館にあった海音寺コーナーと似たような感じの一角があり、男性の説明によると、海音寺財団が解散したときに県立図書館と近代文学館と大口の3ヶ所に寄付されたのだそうです。 男性は、いつも郷土館に居る訳ではないようで、会えた我々はラッキーだったのかもしれません。大口のことなら何でも知っていそうでした。 ![]() 大口観光するなら、この焼き肉屋はお勧めです。夜だけの営業、有名な伊佐焼酎「伊佐美」を片手にいかがでしょうか。 |