2017年5月 鹿児島6日目:世界一の産出量!鉱脈も未知数!菱刈鉱山


伊佐市はかつては大口市と称していました。隣町の伊佐郡菱刈町と合併し「伊佐市」に市名改称したことについては紆余曲折があり、平成の大合併の時に菱刈町民の反対が激しく1回破綻になっているのです。それでも菱刈町を抱え込みたい大口市は「編入合併」ではなく「新設合併」という方式を採ることにより説得し、平成20年に合併に成功したばかりなのです。
なぜ菱刈町はそこまで合併を嫌がっていたのか?「世界一とも言われる金山を抱えているから」という事が一番であろうけれど、それ以外にも歴史的背景としては、菱刈町は元来は大隅国だったということも影響していそうです。
それにしても金山を抱えている菱刈町が合併に応えたことの方が摩訶不思議に感じます。

泊まった旅館の向かいにあった「浄土真宗本願寺派 大ー寺」です。これが不思議な風景でありまして、島津氏によって何百年もの間厳しく取り締まられた為に鹿児島県では今でも本願寺系のお寺がほとんど無いと言われています。熊本県(肥後国)と隣接している地理条件が関係しているのでしょうか。 廃線・宮之城線の終着駅であった大口駅は、水俣湾を始発し菱刈鉱山沿いを走る路線と連絡していました。時には大口や菱刈鉱山の発展だったり、また時には水俣の産業繁栄都市に支えられて、この路線はたくさんの利用客で溢れ活況があったのでしょう。いまやこの線路の先は途絶え、道路になっています。

さて今日は一番早い7時にボリュームたっぷりの旅館の朝食を済ませ、大口駅のバス停から菱刈金山を目指し出発します。最寄バス停が「湯乃尾」であろうと見当をつけていたのですが、運転手は通らないから「川南」で降りろと言う。バスに乗っていた老人も怪訝そうに「湯之尾に何しに行くんじゃ?」と聞いてきたので、「地盤沈下と菱刈金山だ」と答えましたが、意味わかんねみたいな表情をされてしまいました(笑)
バスに揺られながら外を眺めていると、一面が平地で遠くのほうに山々があるというのが、今まで見てきた薩摩のイメージからはかなりかけ離れているなと思いました。昨日の博物館の人が言うには、『九州の北海道』と呼ばれるくらい冬の大口盆地は寒くひどい時で−15℃まで下がるとのことでした。でも、それだからこそお米がうまいんだそう。伊佐米が有名ですもんね。
田植えは6月からで、いわゆる二毛作というやつで、今の時期は牧草の収穫のためにあちこち草刈機が忙しそうに動いていました。初めて見るものですから、機械の動きが面白かったです。牧草を刈り取りながら丸めて、ポイッ。白い袋に詰めて、契約牧場(豚?)に持っていくんでしょうね。
そんなのどかな田んぼの中の道をバスは通って、やがては川南のバス停近くで降ろしてくれました。 降りたすぐそこが右から読んでも左から読んでもの川内川でした。川全体で言うとまだまだ中流です。この辺りは昔は菱刈氏が居たのですが、蒲生氏が島津氏に滅ぼされてまもなくして攻め入られたようです。 少し先に進むと、旅行計画を立てた時に泊まろうか迷った「民宿がらっぱ温泉」がありました。露天風呂と川内川にかかる鯉のぼりが圧巻らしく気にはなっていましたが、道路から丸見えすぎて女性には厳しそうでした。
風呂場らしき建物の裏側には、川内川に排水する温泉水の跡が見えました。湯の華が溜まりに溜まってこびりついてしまってさらに苔が生えているように見えます(汗)これはすごいぞ…。
「がらっぱ」とは薩摩の言葉で、河童に似た妖怪だとも河童そのものだとも言われ、川内川に生息すると信じられていました。つまり、川内川周辺の集落は河童への愛着を持っているとも言えるのでしょう。民宿がらっぱの近くの公園には河童の像が乱立していますし、がらっぱ共和国という架空の国も設立しています。それほど愛着の度合いは深いものであるらしい。 下の写真は民宿がらっぱの近くにあった水神を祀る祠です。川内川の水神なのでしょう。河童を、水神の没落した姿とする伝説もあることから判るように、河童も水神の一種で、他の川内川の地域では気づかなかったのですが、菱刈では水神神社(龍神神社)が多いと思いました。
祭神は「美都(みづ)波能売命」、古事記にも出てくる水の神様です。 ところで、見ていただきたい写真があります。下の写真なんですが、写っているのは有名な鹿児島特有の「田の神さぁ」です。真っ白いお顔に真っ赤な全身の神様という派手な色使いが個性を際立てていますが、一様にそうとは限らず、茶碗を持った女性のような像だったり塔だったりもします。
米どころの伊佐。平地に広がる田を歩いていると田の神さんをちょくちょく見かけます。田の神さんに目が行くと、傍らに龍をかたどった灯篭だったり、水神の塔だったりが一緒に祀られている時があります。田には水が必要ですね。
菱刈前目の「田の神さぁ」と龍形灯篭。 菱刈下手のまごころ市場や警備保障(有)の近くにあった「田の神さぁ」。隣の塔に何が書かれていたかは失念してしまいました。誰か知ってるかた教えてください。 同じく菱刈下手の西菱刈駅(廃駅)のそばにあった「田の神さぁ」
隣に何か置いてあったような形跡があるのですが、それが何だったのかは知る術がありません。 田に大きな恵みをもたらし時には荒れ狂い被害をもたらす広大な川内川を、上流に向かってしばらく歩いて、4,5軒ばかりの温泉旅館が営業しているような小規模の町に入って行きます。「菱刈交流館」に入店してみると、地元農産物や加工物が並んでいる中に、60cm3 ぐらいの大きい金鉱石が飾っていました。昨日の博物館の人が言うには、菱刈産は品質が素晴らしくて1トン中40〜50gの金が取れるとのことでした。
「撮影禁止となっているのは、ネットオークションで詐欺に使われた事件があったから」だと女性店員が話しかけてくれました。キラキラ光る石英などの鉱石も混じっているので、金を見つけ出すにはコツがあるらしく「こういう層と層の間に、ほら、こういうとこにある」と指差す場所を一生懸命探してしまいました。
この辺りに詳しい地元の人だろうと思い、地盤沈下した場所を聞いたら、やはりご存知で今はもうあまり見ても判らないかもとのことでした。
いよいよ地盤沈下した場所を目指し、町を出て、人っ子一人居なさそうな道を進み、湯之尾神社に到着しました。
我々が気にしている「地盤沈下」というのは、菱刈金山の採掘を原因とする災害です。採鉱すると同時に温泉も湧いてきて作業が出来ないため、どんどん温泉を抜いていきますが、そうしましたら、麓にあった湯之尾温泉の温泉まで吸いだしてしまったのです。枯渇による地盤沈下です。地盤沈下してしまったかつての湯之尾温泉の中心街は、川内川近くのさっきお邪魔した地域に引越しし、採掘の副産物の温泉水を移送してもらいつつ営業を続けているのだそうです。
しかし、湧き出る温泉水の量が多すぎて消費しきれないので、川内川にどんどん流して今や川の生態系が変わってしまったと、博物館の人はぼやいていました。
「熱帯魚もおる、大口金山も今は金は取れなくなっても温泉だけは湧いてくるので鉱毒(主に砒素?)を無力化して排出しないとダメやし、地元にとっていい事なんか何1つもない、行政が雇用200人創出とかゆうて喜ぶだけや」

湯之尾神社の仁王。祭神はなぜか鎌倉権五郎。梶原の祖先がなぜ鹿児島の神社に祀られているのかご存知の方は教えてください。 かつて栄えていた温泉街はこの辺りなのでは…と道路の傾き加減を目視で測ってみるも、いまいち判りませんでした。
ちょうど通りかかった散歩中の女性に地盤沈下の場所を尋ねると
「まっすぐ橋を通り過ぎた所が昔の商店街でそこが沈下した。少しだけ窪んでいるのが判るかも。映画館やパチンコ屋があって昔は栄えていたよ。」
と、教えてくれました。
下の写真、目印で言うと「湯之尾城跡」の看板がある辺りが、昔の商店街だと思われます。実際には沈下の具合が見た目では全く判らなくて、しかし確かに昔は商店街だったんだろうなあという名残がほんのわずかばかり見える程度でした。映画館やパチンコ屋があったようにはとても見えませんでしたが。 ここからいよいよ菱刈金山に向かいます。2017年現時点で世界一の金脈を持つことで有名な金山ですが、かつては、隣接する牛尾金山・大口金山からも採れ、連峰の山々からも採れていました。一度、鉱山巡りをするのも面白そうです。
「菱刈鉱山」という標識を目印にどんどん山を上がって行って、最終的には鉱山関係者以外立ち入り禁止という看板に行き当たってしまいまいた。せめて門の前までは行きたかったのですが、ここから鉱山入り口まではまだまだ距離があるし入れないので、諦めることにしました。 道路脇のパイプは、温泉水輸送用でしょうか? 我々が辿ったのは山田杭と呼ばれる、菱刈鉱山の中でも古く、江戸時代の発掘場への道でした。

昨日の博物館で見せてくれた住友金属株式会社(菱刈鉱山の所有会社)による菱刈鉱山発掘のビデオは、安心安全作業で環境にも優しい配慮をしていますのPRで、10tトラックが2台行き来できる坑道完備です、爆破する時は全員退避チェック怠りません、坑道もしっかり固めています。周りの環境にも配慮して万全です。
「川内川を熱帯にしているけどな」
とつぶやく博物館の人。
企業・公のPRと現実は色々とギャップがあるのが世の中の常でしょうね。

こんな金ピカの像をくっつけた塔を建てているから歓迎されていると思ったのに。関係者以外立ち入り禁止とは。観光客向けっぽく「入り口」なんて書いたらあかんちゃうか。 昼御飯は通りかかったそば屋にて済ませました。
鹿児島のソバなんですが、旅行を終えた後、鹿児島市で買ったソバ粉にツナギの卵を使うとより鹿児島で頂いたソバに近くなる感じがしました。モッサリとしていて短くて太め、じっくり噛んで風味を楽しむかけ蕎麦に向いているように思います。

そしてここから帰途につきます。これまた遠いです。
いろんな小石を拾ったり、スーパーや農産物屋に寄り道したり…田の神に挨拶したり、牧草収穫を見学したり…バスなんか全然通りません。停留所の時刻表には一日3,4本のバス。平日のほうが運行本数が少しだけ多いので、全く観光商売なんか念頭に置いていませんね。観光地ではない所はこういう点で厳しいですが、スローテンポもまた良し。
予定では「曽木の滝」で締めくくる計画でしたが、これまたバスの運行が少なすぎて帰って来れる自信がない為、断念。このまま旅館に戻り、早めの入浴と夕食を済ませ、明日に備えて歩き疲れた足を休めることに致します。


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