2017年9月 山形4日目(米沢市):ザワ衆C


本日の朝御飯です。薄皮丸茄子の塩漬は、皮がぱりっとしていてやたらとみずみずしい。泉州の水茄子漬けに似ています。米沢市の小野川という地域が農作物や畜産物がやたらと盛んらしく、スーパーでは小野川産をよく見るんですね。産地が近くにあるというのは安心感があるものです。


さて、本日も「館山ガイドブック」の発行主のところへ訪問し、昨日拾った古銭を贈呈しました。残念ながら古銭には興味がないらしく「文化課にでも渡しておく」とだけ言っていました。
そして続く言葉は、「一服どうですか?」。お話が聞きたかったのですが、二日連続で居座るのもはばかれたので「今日はもう帰らないとダメなので」とお断りを入れたうえで、ガイドブックのおかげで愛宕山など楽しめた御礼を言いました。片倉山の館跡をさがすのに大変助かったが看板も建てて欲しいと言ってみたところ、苦笑いしながら「あそこは管理しているところが違うんですよ」と言われました。たしかに全然違う場所なのをすっかり忘れてしまって、「米沢の事ならこの人に言え」、みたいになってしまっていました。
反省もほどほどに世話になった館山城主と涙ながらのお別れをし、次の目的地である市役所に向かいます。

こちらは館山城主の近所にあった皇大神社。
この神社も上杉が越後から連れてきて、青苧座という当時かなりもうかる商売の権利を与えられていました。ここの当主が伊勢神宮の御師だったらしく、御師というものの正体をなんとなく感じることができます。
そして軍事だけと思われがちな上杉の力は軍事だけではないことも分かることでしょう。上杉景勝は頭が切れるタイプじゃなく熊のようなやつだったみたいですが、そんな景勝が金儲けをしてるなんて不思議なものです。あえて鈍重なふりをして熊をかぶっていたのだろうと思うけども、そうしないとザワ衆を治めることなどできなかったのかもしれません。この景勝の苦悩を描くだけで壮大な物語が作れそうですね。

そんな景勝の事を妄想しながら市役所へ向けて北に歩みを進めます。米沢の中心からは離れたところにある市役所ですが、道が広く利便性の良いところに作っているのかなと思います。
ここで文化財課の事を教えてもらい、向かいの建物である文化財課を訪れました。
文化財課に入ってみると、眼鏡の奥の目が鋭い青年が応対してくれました。そう、それはまるで直江のように才気に満ち溢れたような鋭い眼光でした。
私は景勝のようにおっとりと鈍重に大野九朗兵衛のことを尋ねてみました。すると爽やかな口調で答えてくれました。
「大野九朗兵衛の墓は自分も行ったことがある。あそこは古い街道で大名行列のさいに使われていた。最近は町おこしで板谷街道をとりあげて色々と検証している。大野の墓は見た目からして古く明和年間に建てられたはず。」
このことに関して詳しい考えを聞き忘れてしまいましたが、大野にはいくつか墓があり、ここと同じように吉良を待ち伏せていた伝承があるので、昔から流行に対して反発する少数派もいたということですか。
つづいて武田信清の高家衆とは何か?を聞いてみました。
「儀礼をつかさどる役職で上杉家では一番上の地位にある。」と言い、上杉家家臣一覧表を持って来てくれました。その表には大まかな階級や役職などが書かれていたのですが、詳しい事は書いておらず、色々と説明をしてくれました。下級家臣団が原方衆だと説明を受けた時に、つい疑問に思っていた事を聞いてしまいました。「ザワ衆ですか?」と・・・。
私の唐突の質問に別段驚く風もなく、目を光らせ、ニヤリと笑い「違います。新潟の・・・・、直江と同じところの出身です。」
ああ・・・、彼は与板衆だったのだ、それでどことなく直江のような雰囲気を漂わせていたのだと納得できました。与板から米沢に上京し、憧れの直江のようになりたいということで頑張っているのかもしれません。
私は頭の中で彼の事を「今直江」と呼ぶことにしました。

(左が杉原のお墓・右が一般的なお墓)
最後に気になっていた「杉原常陸介」の墓の事について聞いてみました。林泉寺に杉原の墓があったのですが、このお墓だけは他のと違っていて前面がまるごと開いているタイプだったので気になっていたのです。
「杉原常陸介を信仰している人たちがいて、その人たちが墓を削って持って帰るので穴が開いた、と言われています。」と、すらすら答えてくれた。考えることもなく言葉が出てくるので彼も杉原の事を信仰しているのかもしれません。
(司馬遼太郎著「街道を行く」に杉原の事が載っておりました。「明治以前、瘧という熱病があり、杉原の墓碑を削って飲めばなおると言いふらすものがあり、墓碑がずいぶん破損した。杉原はいくさにでるとはげしく震えるのがつねで、銃声が聞こえると震えが止まった。この話が言い伝えられて民間療法となっていたようだ。」)
他にも気になった事を教えて頂いたり、資料のコピーを頂いたり、本当にお世話になりました。仕事中に1時間くらいもお邪魔してしまって申し訳ない気もしたのですが、館山城主といい、今直江といい、歴史の事を話しているのがとても楽しくてとまらないのだと思います。おかげで私たちもとても楽しめました、米沢の皆様どうもありがとうございました。

文化財課を後にして向かったのが羽陽書房という古本屋です。本当は休みなんだけど整理に来ていてたまたま開けてたと言っていました。こちらは古本屋らしく所狭しと本が積みあがっています。こういう中からめぼしいものを探すのが楽しいのですよね。
いくつか気になったのはあったのですが、「米沢史談2巻、3巻・中村忠雄著」の二冊を購入しました。1巻は客によく聞かれるけど無いらしい。(帰ってからネットで調べてみたら米沢図書館でも「禁貸出」になるほど出回っていないようだ。)

買わないと決断したいくつかの書物に後ろ髪が引かれる思いはしたものの、気持ちはすでに昼御飯の事に傾いていきます。鯉の名店「六十里」に行くことを楽しみにしていたからです。米沢市役所から歩いて40分以上でしょうか(米沢駅からだと近いです)、住宅地の中にあり少々分かり難く迷子になったものの無事到着しました。

この圧倒的な高級感ただよう店舗に怖気づきました。周りの住宅地と全然馴染んでないこの古く豪華な建物、どこかから移築してきたんでしょうか。さらに使い込んだリュックに、ハイカーが着ていそうなイデタチでしたから、私ら2人組「入ってもえんかな」と(笑)

庭に生け簀があって、無数の黒い鯉を泳がせているのを注文が入るとすくい網で捕獲している様です。2階の座敷からその様子が見えるのですが、その大きく重そうな鯉とすくい網に掛かった時の暴れっぷりに見とれてしまいました。
ランチ限定でメニューには鯉御膳1人前2,100円が載っていましたが、味噌汁と漬物付きの単品で1,050円にすることも可能だと教えて頂いたので、鯉の甘煮(写真下)と鯉丼(写真上)を注文致しました。ちなみに味噌汁には山形名産の食用菊「もってのほか」を散らしています(紫色のやつ)。
5年くらい前に1回鯉を食べた事があって、それが滋賀県の近江八幡だったんですね。その時に食べた煮付けの小骨があまりにも多くて辟易してしまった記憶が鮮明に残っていたのですが、今回の山形では骨はほぼ気になりませんでした。その代わりと言ってはなんですが、でかいうろこが付いたまま出てきたのでしばらく凝視してしまいました。「女将さん、これはウロコですか?」と分かりきった質問を口に出したところ、「はいウロコも食べれます」とにこやかに答えてくれました。
箸でウロコをはごうにも剥けない、ええい、とかぶり付いてみると意外に食べれました。それでも食べやすさならここは鯉丼でしょう。甘煮ほど甘ったるくなく、少々骨が残っていますので薄切りにしているのが食べやすかったし、ウロコもついていませんでした。
鯉が新鮮だからなのかフワッとした食感で、口の中で魚の味が広がる感じがとてもおいしかったです。

次は宮坂考古館へ向かいます。上杉景勝など名立たる将が着用した甲冑や銃が主な展示でしたが、我々は武具には詳しくなかったので興味が持てませんでした。唯一、目を引いたのが赤穂浪士が吉良邸で脱ぎ捨てたと伝承のある帷子で、これも米沢ならではの展示物だと思いました。

宮坂考古館を後にし米沢駅に戻って来て、土産物を物色しながら電車の時間を待ちました。まだまだ行きたかったところはたくさんあるのですが、未練を断ち切り次回への宿題として残しておき山形市へと向かいます。電車に乗り、町が遠くなっていくにつれ心残りは薄れていき、山形市はどんなところなのかと好奇心が湧いてくるのでした。

そして山形駅に到着。意外に遠くて、電車で1時間ほどかかりました。やたらと学生が乗ってきて、ほとんどが山形駅で降りて行く。山形市周辺に住宅地が多くそこから通学している人が多いんですね。
上の写真が山形駅の構内です。基本、新幹線が通る町っていうのはどこも似たような駅、駅周りになってしまうんですよね。観光案内所へいろいろ質問をしに行ったのですが、マイナーすぎる内容だったせいか、パソコンを駆使してプリントアウトした紙を渡されてしまいました。もっと生の声や、地元人の意見が聞きたかったんですが。

今夜からの3泊は、山形駅に近いビジネスホテルになります。そのせいか、居酒屋が多く、あとはラーメン屋にファーストフードの類が、駅前の大通りに並んでいます。とりあえず山形市に到着したのがもう遅い時間だったので、十字屋という百貨店で朝用の寿司とだだちゃ豆腐、珈琲、ミルクを購入し、晩御飯を食べるところを探しに行きました。

山形市は雨が降っていました。(山形駅前にて)
この日の夜は、居酒屋で蕎麦を頂きます。小さな小料理屋みたいなお店で、後のテーブルのサラリーマン2人組が出張で福島県郡山市から来ているらしい会話が聞こえ、やっぱりここは山形県の中心なんやなあとぼんやりと思いながら蕎麦を待つのでした。せっかく注文した蕎麦でしたが乾麺を茹でたもので山形らしい感じがなく残念でした。
泊まるホテルの一階がコンビニになっていました。そういえば、米沢ではコンビニほとんど利用しなかったなぁ、こういうところでも山形駅の繁華街っぷりが分かるかもしれませんね。



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