2017年9月 山形1日目(米沢市):ザワ衆@


予定よりもだいぶ早い時間に南陽市役所前へ到着。ただいま6時30分。ただっ広い国道のどまん中に下ろされ、向かいのコンビニの駐車場もただっ広い、道沿いに建つ店舗も1つ1つがでかい、何もかもでかく立派なのに人の気配がなくガラーン。そんな早朝の空気の中、まぶたをこすりながら見渡すのでした。

コンビニが二重扉です。加賀でもよく見た雪国に特徴的な玄関です。民家でも玄関が二重扉、窓も二重扉でしたが、屋根は瓦ではありませんでした。そこが加賀と違う点かな。

国道に面する南陽市役所(左の白い建物)。市役所の裏手にあるフラワー・長井線で赤湯駅に行く予定でしたが、予定より早く着いたしなぁ…1駅だけだし歩いて行こうか。

そして20分くらいで到着しました「赤湯駅」。レトロな駅舎を指差して相棒は、「インスタ映えや!!」と朝っぱらからネタいじり…いいから黙ってて(笑)ちなみにフラワー・長井線は、萌えキャラ大絶賛売出の甲斐があって黒字維持しているのだそうです。
またJR奥羽本線も接続しているため新幹線も通る大きい駅となっています。JR構内に「おいたも売店」というのがあって、「おいたも」の意味をずっと考えていたら駅放送がかかり、あっそうか。「おいたま(置賜)」ね。ずっと「おきたま」だと思っていました。奥羽は「おおう」と読みますし、地名が音便化しやすいんですね。


車窓から広大な田を眺めながら、相棒と立ってずっとおしゃべりしていると、目的地の「米沢駅」に着きました。最近、上杉景勝と直江兼続の大河ドラマがあったらしくて、駅前には「愛」と「義」のノボリが立っています。
「笑顔を1度も見たことがない」というエピソードを残す上杉景勝は寡黙にして武骨の人でしたが、正反対の直江兼続とは家臣でありながら妙にウマが合っていたらしい。
さっそく朝食を立ち食い蕎麦で済ませて、観光案内所に向かいましたが、何人か先客が居てなかなか空きませんでした。意外に、米沢は観光客が多い模様です。去り際、「台風は12時に到来するらしい」という会話を盗み聞きした相棒が、「心配していた台風が夜中になるらしいで、これで今日一日は安心やな」と意気揚々としていました。

マップだけ貰って駅の外に出ると、米沢牛の看板だらけです。精肉屋米沢牛、米沢牛ラーメン、米沢牛ランチ、なんでもかんでも。三大和牛って、松阪牛、米沢牛、神戸牛でしたっけ?訪問したらその土地のものを食べることをポリシーとしているんですが、牛肉は苦手なので看板で目を楽しませて頂きます。
では、駅からホテルや上杉神社に繋がる道を延々と歩いて行きます。

山形の母なる最上川の上流です。この松川橋のすぐ近くに「今町石観音堂」という、関が原の戦いのあとの1601年、上杉景勝が石高を減らされた上に会津から米沢に転封せられた時に、持ってきた岩石が動かなくなってこのまま祀ったという祠があります。山形旅行3日目に聞いた話で、伊達氏が米沢から仙台に引っ越すときに動かせなくなった伝説の岩石のことを聞きましたが、上杉氏と伊達氏それぞれの伝説の下地がまるっきり一緒なのが面白い。

米沢では石榴を庭に植えている家が多く、赤い果実のヒヨコのような、特有の姿形が目新しいです。この辺り、米沢城の城下町にはかつては上杉家の中級家臣団が住んでいたのですが、今は商店街に変わっていて家庭用除雪車を店頭に並べていたり、スコップを売っている店が多いのです。
かつて120万石を誇っていた上杉氏は30万石に減らされながらも、最盛期だった時の家臣の数をそのまま減らさずにみな米沢に移ってきました。もちろん、その中には直江もいました。

ホテルに荷物を預けてから、ひたすら米沢市の西部に向かって歩いて行きます。
最初に降り立った南陽市でも気になったんですが、米沢市にもあります、こんなのが。コンクリートで固めた駐車場や道路が赤くなっているのです。1枚目に掲載したローソンの写真を改めて見て欲しいのですが、やっぱりところどころが赤く染まってますよね。

まだまだ西に向かって歩いて行きます。
なんと、歩道に落とし穴が出現しました。でも、これは雪を捨てる場所なのです。青森に数年住んでいたことがある私ですら、よほど降雪量が多いんだなぁ…とこれには驚きました。冬は毎朝、市の除雪車が通るので歩道の雪が高くなるんです。青森では決まった時間帯に近所の人と協力しあって歩道の雪掻きをする地域があり(弘前)、雪をかきわけて側溝の蓋を開けて雪を流していきます。蓋ではないということは、かきわけれないくらい積もるんでしょうね。

本日一番の目的地、舘山城跡に到着しました。米沢時代の伊達氏が使っていた城で、仙台に引っ越す時に破棄されたであろうと言われ、最近の発掘調査ではその規模の大きさが注目されています。ネットにも情報がなく、観光案内所にもそういうパンフレットがなかったので、「行ってみるだけ行ってみよう」。結果、東北特有の「舘」城というものが見れたし、大変楽しめました。熊の置き土産と思われる栗を拾いながらの舘城散策だったのですが、いきなり大雨に降られてしまい、身動きの取れない状態に…。相棒が盗み聞きした「12時」とは昼のことだったに相違ありません。しまった、合羽も防水靴もホテルに預けてしまったではないか。
※ 舘山城については後日メニュー「城攻め」で詳述したいと思います。

舘山城のそばにあった栴檀葉菩提樹(センダンバボダイジュ)の実。黒数珠玉に使われます。

雨宿りした小屋には、お水や紙コップ、舘山城マップなどが用意されており、「ご自由にどうぞ」、舘山城をこよなく愛する地元人がいらっしゃるようです。これが山形旅行をさらに面白くさせてくれる、運命的出会いとなりました。自家出版と思われる舘山城ガイドブックも置いてあり、購入先の電話番号も載っていたので、是非とも購入したいとメモしたのでした。
しかし雨がなかなか止みそうになく、意を決してバス停まで走って行きます。来るときに買ったプルーンがおいしかったので、帰りにまた果物の直売所に寄って、倍の量で買ってしまいました。生プルーンを食べたのも初めてでしたが、こんなに食べるのもこれから先の人生でも無いんじゃないだろうか。気さくそうな女性が、熊はプルーンが大好物なのだと教えてくれました。熊が身近なんですよね。
ここから20分ほど行けばバス停留所があると教えてくれ、ひとまずは一安心し(相棒はプルーンをかじりながら)、ホテルに戻るべく急ぎ足でバスに向かうのでした。

合羽を着用し動き回りやすくなったところで、腹ごしらえに上杉博物館の向かいにあったラーメン屋に入りました。この時点でもう14時過ぎ。米沢ラーメンの特徴が手揉みの縮れ麺で、すすると確かに口の中でクルクルッとします。米沢ラーメンと、米沢牛入りラーメンを頂きましたが、前菜の漬物が一番おいしかったです(汗)(※ 自分はラーメンが好きじゃないのかも?と最近思っている…)

大根の醤油漬けみたいだと思い、店の人に「これはなんという名前の漬物ですか?」と尋ねたら、「自分の家で漬けた漬物だ」と…。米沢の人にとっては普通に食べている漬物だということなんでしょうね。かなり後になって判ったのですが「いぶりがっこ」と言って、大根をいぶったあと糠漬けにするんだそうです。ちょくちょく飲食店の前菜で頂きましたが本当にこれはおいしい、お勧めです。しかし土産屋には置いてないんですよ。

胃もたれがしやすいくせに米沢牛を食べきった相棒は「ツラいわ〜」と言いながら、生プルーンをずっとつまみ食いしていました。どっちなんだよ。この辺りから相棒の体調に異変が忍び寄っていたのには、二人とも全く気づいていませんでした。
向かう次なる場所は、上杉博物館です。上杉家伝来の「洛中洛外屏風絵」(国宝)が一番の見せ所らしく、ボランティアの年配の女性が「解説しましょうか」と寄ってきて、一通り説明をし終えるとスッと去って行き、次の観光客を捕まえていました。ウーン、何かこう熱さが無い…。上杉博物館の宣伝ポスターの謳い文句のほうがまだ熱さはありました。「米沢市民が大切に大切に守ってきた上杉家の至宝」みたいなそんな感じの。これが私のイメージする米沢気質に近いです。

正直、上杉博物館はそれほど見る物がなくて、隣の上杉神社に場所を変えました。表参道には上杉や直江の像、大河ドラマの記念像みたいなのとか、摂社が並んでおり、その1つ松岬神社は中興の名君と名高い上杉鷹山を筆頭に祀っています。財政の厳しくなった米沢藩を立て直した藩主で、元は高鍋藩(今の宮崎県)の人です。
近くに「松岬」という地名もあり、私は松岬という地名(神社名)に違和感を覚えてたまらないのです。米沢城の別名が「松岬城」、まるっきりの内陸部に「松岬」とは?

表参道にひっそりと建っていた伊達政宗生誕の地の石碑です。仙台と思われがちな伊達政宗ですが、生まれも米沢、青年時代を過ごしたのも米沢です。この事を知らない人はこの石碑を見ても「?」と思うんだろうなぁ。米沢城(現・上杉神社)ではなく、さっき見に行った舘山城がその地だという説もあります。しかし大概、米沢が伊達氏を売りにしていないんですね。置賜一帯を治めた伊達氏は、豊臣秀吉による奥羽仕置で米沢を離れて宮城の岩出山城に移り、その後、蒲生氏を挟んで上杉氏が米沢入りした、ざっとこんな感じで領主(藩主)が入れ変わっているわけです。
最後に入封した上杉氏は何度かお家断絶を迎えそうになりながらも、明治まで続きます。例え石高を減らされても、上杉氏への飽くなき憧憬を抱き米沢へいや明治まで付いて来た家臣団の記憶を、今でも米沢では受け継いでいると感じます。

ヨークベニマルにて。東北で展開するローカルスーパーで、鳩マークがヨーカドーに似ています。しかし、地元の商品を楽しみたいなら、お勧めは米沢を基盤とするキムラスーパーでしょう。
ヨークベニマルでも珍しい素材が置いてありまして、それが食用菊「もってのほか」、あとは、筋子も相棒には珍しかったみたい。そう言えば関西では見ないかもね。郷土料理をやっている店があればということになり夜の商店街に繰り出しましたが、開いているのはスナックやチェーンの居酒屋、焼き肉屋(やっぱり米沢牛?)しかありませんでした。

たまたま空いていた居酒屋に入り、ただちゃ豆とタラのタルタルソース、蕎麦を頂きました。ここでも前菜がおいしかったので店員に聞くと、あざみの茎の煮浸し?煮物?なんだそうです。とにかく前菜がおいしい米沢なのです。
米沢市は山形大学や短大など学生が多く、この居酒屋も途中で何人か若者が入って来て飲み会を始めていましたし、ガラーンとした夜の商店街には不釣合いな若者があちこちにたむろっていました。

この日の夜、とうとう相棒はオナラを連発し出して、テレビを見てもくさい、寝てるときもくさい、とにかくオナラが止まらないのです。「美容にも便秘にもいい」と言っていましたが、生プルーンの効果はかなりすごいです。


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