2017年3月 1日目:再訪・小豆島


「いい香りがする・・・、これは?」
潮風に混ざりほのかに漂ってくるゴマの匂い、この土庄港ではありふれた事なのかもしれないが、旅行者は不思議な感覚に陥ってしまう。
私は小豆島の玄関、土庄港にやってきている。この港のすぐ近くにゴマ油で有名な「かどや」の工場があった。
そこから漂ってきているのがこの香りなのだ。ここから外界へ旅立って行った人達にとっては、望郷の念の募る匂いなのかもしれない。

数年前、一度来た事のある小豆島なのだが、急ぎ足で通り過ぎてしまったので、今回は小豆島をじっくり味わってみたいと思う。そして、いいそうめんに巡り合えることを楽しみにしている。


港を出て歩を進めていくうちにゴマの香りが遠のいていく。すると私の意識の中には別のものが飛び込んできた。
この自己主張の激しい山が目に入り込み、先ほどまでゴマに酔いしれていた私の目が覚めた。
二つの峰からなるこの山は皇踏山(おうとさん)と名付けられており、全体的に岩が目立つので、それが気になるのか知らず知らずのうちに見てしまう。
この迫力から目をそらすように、私は皇踏山とは反対方面の土庄東港へと歩いていくのだった。

しばらく歩いていくと土庄八幡神社と言う真新しい神社が見えてきた。
その入口の看板に大正末期の写真が載せられていた。現在では商店や民家が数多く建っている場所だが、一面野原で、ふとん太鼓が列をなし港へ向かって歩いている。それを今も昔も変わらない姿の皇踏山が見つめている。
時代の流れを感じる部分もあるが、この風景はそう変わるものではないのだろう。

ここからは軽い峠となっていて、少し坂道を上った所でそうめん屋を見つけた。
共栄食糧というお店で、製造直売をしている。小豆島に来て初めてのそうめん屋だけに、少し緊張したまま店舗の中へと入って行った。
倉庫を兼ねているので無機質な店舗を想像したが、かなり綺麗で商品も目に付きやすく陳列されていた。
無人だったので気楽に見ていたのだが、カメラがついているのか、ご主人がそそくさと出てきた、そんなことは気にせずにそうめんを物色する。オリーブそうめんやお祭り焼きそばなど、変わりそうめんに力を入れているようだ。
普通のそうめんが無さそうだったので、「究極のそうめん」なるものを購入してみた(感想はそうめんページに書く予定)。
ここのご主人はお祭りが好きなのかふとん太鼓の話しをしてきた。祭りに詳しくなくてあまり理解できなかったが、太鼓同士が掛け合って激しいところが面白いのだそうだ。話題につられたようで悔しいが「お祭り焼きそば」なる商品も購入してみることにした。そして、「味彩」という料理屋を教えてもらい次の目的地はそこに決まった。

そうめん屋を出て少し歩いただけで、峠は越えてしまい海が見えてきた。少し高い所から開けた所を見るのはとても気分が良い。この峠道は車通りもあまり無く、ホテルが何か所かあったが今は営業して無さそうだった。いつの間にか人の流れが違う所へ行ってしまったのだろう。私は哀愁の思いにとらわれながら海への道を踏みしめるのだった。
海辺は砂浜になっており、海水浴場として使われているようだ。ホテルも大型のものがあり、山が海へせり出している高台に無理やり建てていた。スーパーマルナカや夜のお店などもあり、この辺りが土庄町のメインスポットなのかもしれない。
そうめん屋に教えてもらったお店はすでに閉まっていた。付近にはいくつかお店はあったが、中華料理屋で食べることにした。酢豚定食は少々甘めの味付けであったが、落ち着いて腹をみたすことができ、次への意欲も湧いてきた。
これから今日一番の目的であった「塩見製麺所」へ向かう。事前にネットで確認したときに、色々とそうめんに対する思いなどを書いていてかなり興味を持っていたのだ。

住所をメモしてきたのだが、詳細地図がなくて迷路のまちに迷い込んでしまった。そこに西光寺というお寺があり、そのお寺の脇の墓場に、写真の小豆島特有の家型お墓があった。
これは「らんとうさん」と呼ぶようで、キリシタンのお墓ではないかと言われている。私にはこれがキリシタンの遺物だと判断するすべはないのだが、ここ小豆島は豊臣との関係が深く、豊臣大名のキリシタン小西が知行した土地なので、キリシタンがたくさん居たのであろうとは思われる。が、宣伝文句である可能性もあるのでむやみに信用はできない。
キリシタンといえば島原を思い出すが、他にも小さな迫害が数多くあったのかもしれない。そう思うとこの「らんとうさん」から、異郷の教えに救いを求めるしかなかった民衆の叫び声が聞こえてくるようだ。

迷路のまち近辺をかなり探したのだが、塩見製麺は見つからない。地図を見ながらウロウロしていると、不審に思ったのか、土地のお姉さんに声をかけられた。
「塩見製麺を探しているのですが・・・、」と伝えてみたが、分からないようだった。しかし、「そうめんならば組合に売っているよ。」と教えてくれた。組合以外のそうめんを探している私は苦笑するしかなかった。だが、住所的にはこの付近とのことなので、引き続き探し続ける。
同じところを行ったり来たり、何度繰り返しただろうか・・・、なんだか疲れてきた。近くにあったスーパーで休憩をし、思い切って電話をしてみる。女性の方が電話にでて、ゆうパックののぼりが立っているところと教えてくれた。それは覚えがある、何度も繰り返し通った、小学校や公民館などがあるメイン道路だ。はじめから電話すればよかった・・・・、「すぐ行きます。」と伝えるが、用意するのに1時間程かかると言われた。仕方がないので1時間待つ、その間に違う所を探そう。

このマップを見て、淵崎界隈をブラブラ歩いてみる事にした。このどこかにそうめん屋があればよいが・・・。
この辺りは皇踏山のすそ野で、山に向かっていく台地に住宅が密集していて、そうめん屋などがあるようには見えなかった。
歩いているうちに、どこかから小麦粉の匂いがしてきた。その匂いがする周辺をうろついてみると、小麦粉の袋がある家があった。さらに、ガレージにはそうめんのカスが落ちているではないか!!
高鳴る胸の鼓動を抑え、近づいて様子を伺ってみる。洗濯物も干しているし普通の家にしか見えない。すると中からご主人と思われる方が出てきたので声をかけてみた。「そうめんを作ってはるなら分けてほしいのですが・・・。」そう聞くと、ご主人が「ちょっと待ってくれ。」と、奥に引っ込んでいった。すると代わりに奥さんがでてきて、倉庫に連れていかれた。「4種類あるから好きなの言ってくれたら詰め合わせるよ。」と言われ、極細、細、中、太から選ぶことに。「極細と中を500グラムづつお願いします。」と、とりあえず無難そうなところを注文しておいた。
こちらのパンフレットには「文五郎」と名前が書いてあり、さっきのご主人がかっこよく箸わけをしている写真が載っていた。「巻き込み引き伸ばし製法」?というものをやっているらしいが・・・、この時は気づかなかったので聞けなかったのが残念だ(ここのそうめんの感想も「そうめん」ページで書いていきたいと思う)。

文五郎そうめんに別れを告げ、塩見製麺へと急ぐ。17時頃の約束だったが、日がどんどん落ちていく。淵崎から公民館の方に出るには海峡があるため、遠回りしなければならないのだ。
そしてなんども通ったこの道、そしてゆうパックののぼりのもとへたどり着いた。
店に入ると先ほど電話に出てくれた女性の方が応対してくれた。丁重な言葉使いで、「うちのような小さい店にどうしてまた?」と言われたので、「ネットで見まして、色々そうめんの事やグルテンの事などを書いてて、興味を持ったので・・・。」とご主人のホームページの事を持ち出す。本当はそのこだわりの事などを聞いてみたいと思っていたが、ご主人がいないようでは仕方がない。
こちらは細、中、太、半生うどんがあり、細と太とふしを購入した(感想はそうめんページに書いた)。
箱詰めを待っているとご主人が帰ってきたのだが、すぐに奥に消えてしまった。役割分担しているのだろうが、少し残念だった。

締めくくりに「味彩」で晩御飯を食べ、スーパーマルナカで翌日の朝飯を購入した。晩御飯は地魚の店だったが、オコゼの唐揚げが食べにくくて、私には魚は向いていないのかとも思ってしまった。
宮本常一氏が書いていたが、小豆島は豊臣の大阪城の石運びや、朝鮮出兵に従い、廻船業が主になっていて、漁業はあまり盛んでは無かったのだとか。しかし、100円ショップが兼業で魚屋をやっていたので、当時とは違っているかもしれない。
マルナカでのそうめんコーナーにて、小豆島そうめんがたくさん売っているのが少し珍しい。大阪のマルナカでは揖保乃糸が主流だった。

こうして小豆島での一日は暮れていき、私は土庄港付近のホテルへと帰っていった。たった一日だけでも歩いた事で、少しだけ小豆島の空気に触れられた気がする。


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