2017年6月 5日目:最終日、まとめに代えて


 旅行最終日です。朝のんびりと喫茶店でモーニングを済ませたあと、向かう先は博物館です。昨日乱読した成果を館員に色々質問して教えてもらおうと思ったからです。しかし博物館の窓口を見て、質問する気がうせてしまいました。初日に来た時と同じメンバーだったからです。これはいい反応は期待できないなと思い、このまま赤穂旅行を終えるべく播州赤穂駅に行きました。

 赤穂は、寂れた観光町だと思い込んでいました。新幹線から南に外れた小さな平野に位置する赤穂は、忠臣蔵・塩・上水道というアピール要素を観光誘致に利用していて、だけど今はもう見向きもされない昭和の遺産のような寂れた観光町だろうと勝手に想像していたのです。ところが想像に反して観光町らしい町として活気を帯びていることに驚きを覚えてしまいました。

 とりわけ忠臣蔵には大層お力を入れていらっしゃって、忠臣蔵キャラクターや、あやかった土産物の売り出し、ゆかりの地の案内板、絵画や垂れ幕による町じゅうの装飾など、「忠臣蔵への期待度」を感じ取ることができます。「赤穂義士会」というのがあり、興味深いことに案内板の多くがこの会の筆によるものらしいのです。世間にまだまだ疎い私ですが、案内板の原文を発案もしくは文責者として刻印するのは「教育委員会」もしくは「県市町村」だという印象があったのです。「忠臣蔵による町おこし」の音頭を取っているのが、赤穂義士会なのかもしれません。
 ところが後日ネットで「赤穂義士会」がどういう組織なのか検索したところ、忠臣蔵に関する民間の研究会だと思っていたんですが、どうやら「赤穂市教育委員会 生涯学習課」の1つの団体みたいなのです。市役所までもが期待で胸を膨らましているということなんですね。赤穂義士会では、忠臣蔵や山鹿素行関連の冊子も製作発行しているようで、我々が買った冊子「赤穂義士を考える」では序章で「小学校や中学校の教科書として読みやすいように製作した冊子だ」と紹介していました。これが今の赤穂人の精神土壌になっているんでしょうか。

 赤穂民報社というのが播州赤穂駅の近くにあります。とってもローカルな記事を取り扱う新聞社で、新聞名のあとにつけるサブタイトルは「忠臣蔵のふるさと」となっています。市役所、教育委員会、メディア、が忠臣蔵もしくは赤穂義士一色です。ここまで一丸となっているのもなかなかないんじゃないでしょうか。そういう精神土壌が、活気のある町を作り出しているのかもしれません。

 秦の民資料館というものが駅前にあり、こちらはおそらく個人でやってはるような資料館なのですが、秦氏の説明などを大雑把には載せていましたけども、そこの管理者?の方は赤穂義士に対しても秦氏に対しても熱い思いがあるようで、市立博物館よりも非常に面白く、まったく興味が無かった忠臣蔵の本を買ってしまうという影響まで受けてしまいました。展示物や資料の明確性よりも、人は人の影響を受けるということをモロに体験してしまいました。ですので、町をあげての観光誘致よりも、人の個性や熱さを表にどうだしていくかが、これからの一億総観光時代には必要になってくるのではあるまいかと思う次第であります。


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