2017年6月 1日目:心のふる里 赤穂へ


6:40に最寄り駅を出発し、兵庫県加古川を通過したのは日が高くなった頃でした。この辺りから山が特徴的なとんがり山が多くなっていき、姫路で広い野になり、また山を越え、野が見え、やがて赤穂に到着します。新快速が滋賀の米原・野洲と赤穂を結んでいるという利便さから、意外に乗客が多いのです。
播州赤穂駅構内の観光協会で赤穂と坂越のマップを何枚か頂き、ついでに土産品を確認します。塩・塩まんじゅう・雲火焼といったものがあり、塩まんじゅうなんかはネットでうまいと書かれていたので2個購入し相棒とかぶりついてみました。あんこの甘さが一層塩味を濃く感じさせます。
播州赤穂駅前はバスとタクシーが使いやすい広々としたロータリーになっており休憩所には路線図が大きなマップで掲示していて、観光地に向けて使いやすいよう力をいれているように思いました。ロータリーの真ん中には「忠臣蔵を大河ドラマへ」の横断幕、どこもそうですがなぜそんなに大河ドラマが好きなのか非常に疑問に思います。



播州赤穂駅から赤穂城に向かう大通りには「トマト銀行」や「みなと銀行」という変わった名前のローカル銀行(地方銀行?)に、海鮮食堂や定食屋、居酒屋が立ち並ぶ中に、本屋や文房具店に洋服屋、かと思えば土産屋に観光案内所が入り混じり、イメージしていた街と違っていました。赤穂の塩、忠臣蔵、上水道という歴史的要素しか知らなかった我々はもっと古びた街をイメージしていたのでした。大通りを歩いているとあちこちに旧上水道の跡があり、昔使われていた陶器の水道管をオブジェとして飾っていました。赤穂は、神田・福山と並び三大上水と言われているそうです。赤穂市を流れている千種川が、これを水源とする上水道が昭和19年まで使われていたと言われるほどで、それほど綺麗な川だから赤穂市の水道料金はとても安いという噂もあります(笑)(ネットで調べたら、浄水場やろ過施設が導入されたのは昭和48年でした)



本屋にも寄ってみます。郷土コーナーに忠臣蔵関連の本がたくさんありましたが、歌舞伎を主題にしたものだったし、この時はまだ「塩」のほうが興味の対象だったので、本の購入は自重しました。
大通りをさらに進むと城の堀が見えてきました。大手門では「討入り蕎麦」を売りにした食堂でたむろっている客や、観光ボランティアに写真を撮ってもらっている客で賑わっていました。我々も後で撮ってもらおうかと言いながら先を急ぎました。



赤穂城は昔は海に三方を海に囲まれ船着き場もあった海城ですが、陸からですと三之丸から順に入っていく事になるようです。その三之丸の大手門や物見櫓や石垣が復元されています。枡形虎口には、よくあちこちの城で見る「黒雲母花崗岩」。その石垣のことで相棒とくだらないことを延々と討論してしまいました。



本丸に向かう途中、近藤源八の長屋門がありお邪魔してみました(現存しているのは長屋部分のみ)。2つ現存している長屋門のうちの1つ、大石邸は人が住んでいるからなのか「立ち入り禁止」といったような貼紙があり、見学を諦めて先に進むことにしました。すると、赤穂大石神社なるものがありました。内蔵助が祭神で大願成就の神なのだそう。まさに大願成就でしょうなあ。
ん?ちょっとまてよ。説明掲示板をよくよく見てみますと、「祭神」は誰かを書いたところに、大石内蔵助、四十八義士、浅野家、森家。それもなぜか長可、可成、に、飽き足らず蘭丸までもが入っております。浅野藩主お国お取り上げの直後に入封した永井家を差し置いての森家ですって。これは摩訶不思議なことです。

振り返ってみるとそこには1つの看板に「(大石邸庭園・長屋門含む)4ヶ所共通拝観料450円」と書いてありました。あっ、さっきのところやわ。だから立ち入り禁止にしていたんですなあと一人合点。しかしながら、この辺りでお腹が空いたので大石邸長屋門に入ることはせず、大通りに戻ることにいたしました。
さて、海鮮にするか赤穂産蕎麦にするか迷いましたが、より近い海鮮食堂にしました。牡蠣フライ定食と穴子丼定食。さらに牡蠣3種食べ比べも注文。岩牡蠣、真牡蠣、ベビー牡蠣を刺身で頂きました。ベビーと真牡蠣はとてもクリーミー、岩牡蠣はさっぱりとしていてとてもおいしかったです。そういえば岩牡蠣は夏で、真牡蠣は冬で広島というイメージでなんとなく分けていますもんね。そりゃあ違うんでしょうね。

かましま」にて。牡蠣を2個つづ包んで揚げています。 苦手な食べ物の1つ「穴子」でしたが、これはおいしいかった。 右から岩牡蠣、真牡蠣、ベビー牡蠣

お腹を満たしたところで再び赤穂城中を通り抜けて、歴史博物館へ向かいます。赤穂城は海を臨む平城とはいえ、れっきとした城なわけで深く抉った堀、曲がりくねった道、目の前に目的地があるのにまっすぐ行けないという構造をしておりまして、「近道にお城の通り抜けを〜」と軽く考えてはいけませんでした。
あっちでもないこっちでもないとようやく辿り着いた歴史博物館は、1階が塩の歴史、2階が忠臣蔵、上水道紹介コーナーが並んでいました。 ここでの見どころは歌舞伎で使われた「仮名手本忠臣蔵」の展示だと思います。元禄年代(江戸時代中期)に起きた赤穂義士事件は歌舞伎で盛んに上演され大人気を博しましたが、幕府も絡んだ事件でもあったので直接描くことを憚って、南北朝時代の騒乱を描いた「太平記」に出てくる登場人物…例えば高師直だったり塩治半官だったりに置き換えて上演されていたようです。 話の筋も「横恋慕」の要素が大きく加わり人情味を色濃くした内容になっており、そういえば、テレビでも「忠臣蔵の恋」という時代劇が放送されていたなと思い出しました。



博物館を後にし赤穂城へ戻る途中、二の丸庭園で休憩します。小川がせせらぐ東屋庭園風でとても涼しく気持ちがよかったです。赤穂城ではただいま二の丸辺りが絶賛工事中でして、何年か後に再訪したら様変わりしていそうです(本丸と三の丸は整備されていました)。さて天守閣では発掘品が無料公開、本丸では城内に引き込んだ旧上水道跡や下水、厠など水の流れが分かるように地面に図が書かれていましたが、あまり興味が持てず、ふらっと櫓に登り周りを見渡しました。今は平地になっていますが、昔は海と川に囲まれた城であったことを頭で描きながら眺めます。
今回泊まるホテルが本丸から見えたので荷物を預けてから次に行こうかと言う話になり向かってみますが、やはり堀があって出れず、しかも橋は遥か反対側にあるという防衛上の構造に阻まれてしまうのでした。諦めて荷物を持ったまま次の民俗資料館に向かいます。途中、四十七義士のうちの何人かの邸宅跡があり、相棒の最も注目する大野氏の邸宅もありました。



昼過ぎから日差しがかなり強くなり資料館までは徒歩10分程度だったのですが、バテてしまい遠く感じました。かつて塩専売公社として使われていた西洋風建物に入っている資料館は、1階がビートルズ展(期間限定)がやっていましたがビートルズはさっぱり判らず、そのまま2階に移動します。昭和初期の古民具とりわけ戦時中の広告や手紙、ポスターなどのメディア・ツールが面白くちょっと他所ではお目にかかれない代物じゃないかと思います。広告「庭に菜種を植えて一滴から(戦争に奉仕しよう)」は、電気予報に似ています。本日の予想電気不足は○○%なので削減に協力しろと一時期騒がれていましたよね。

徴兵された(?)軍用犬ジャック号。「号」がつくんですね。
飼い主自ら描いた絵と思われるが、シェパード?当時の家庭で飼っていた人って一体どういう人…。

資料館を出た頃には暑さも落ち着き、図書館へ向かいます。その途中、赤穂らしさを感じる「塩回送」という運送会社がありました。
赤穂は道路が整っているわりに交通量が少なく落ち着いて語り合いながら散策できるのが良くて、延々と今度は「塩」について相棒と語り合いました。
さて到着した赤穂市立図書館、18時まででしたのでほんの少しだけ覗いてみようかとなって入館したら目指す本棚はただ1つです。分類法で言うところの09、郷土資料のある書架です。この郷土資料も図書館によって品揃えに個性があって面白いと思います。さてこの図書館の郷土資料コーナーでは、忠臣蔵関連が1つの棚を占めるくらい所蔵しており、他に秦氏に関する書物が数冊、考古学関連も数冊といった感じの割合でした。商店街の本屋でも忠臣蔵コーナーを特設していたことを考えると、赤穂市は忠臣蔵にとても力を入れている模様。とてもじゃないけど、愛知のように「あれはテロにすぎない」と言える雰囲気ではありません。
いくつか本を手に取り流し読みしていたのが眠気がひどくいつのまにかうたた寝してしまい、気づいたらもう閉館近い時刻になってしまいました。空腹も感じたので急ぎ足で播州赤穂駅方面へ向かいます。
その途中、「主婦の店」というスーパーが珍しく立ち寄ることにします。しかしなんと。塩コーナーはほぼ赤穂の塩、醤油はヒガシマル(赤穂の隣々町龍野市に本社がある)、素麺は揖保の糸(これも龍野市の特産)というふうに「地元産」で埋め尽くされていました。主婦に選択の余地はなくただただ企業城下町の中で企業に貢いでいくことしかできません。

ああ哀しいかな哀しいかな。哀愁の想いを秘め主婦は今日も買い物をします。

昼、気になっていた「赤穂産蕎麦」を売りにしていた蕎麦屋が、やっぱり気になってしまいましたので少々時間は早かったけれど夜ご飯はそこにしました。メニューが意外に豊富で、十割蕎麦は注文があってから打つので時間がかかるとのこと。
赤穂蕎麦 衣笠 ハモ天麩羅と十割蕎麦 穴子天麩羅と八割蕎麦

蕎麦は喜多方ラーメンのような平麺で今まで食べたことのないタイプでした。「パスタマシーンで作ったような麺やねぇ」とは話していましたが、帰宅後ネットで調べたらまさにその通りだったみたい。とりあえず不思議な食感です。店を出る時に赤穂のどの辺りで蕎麦が取れるのか尋ねましたが、今年は出来が悪く山形産を使っているとのことでした。普段は赤穂の北部「有年(うね)」で取れるのですって。
さて、これで長い長い初日が終わりました。ホテルで休息し大浴場も平日だから貸切状態でしたし、気持ちよく眠りにつくのでした。


2日目 / 3日目 / 4日目 / 5日目 /

旅行記に戻る