2017年2月 3日目:初十津川・武蔵地区


本日で十津川ともお別れです。昼のバスまで十津川を味わってから帰ります。

木の香りがするホテルかたやまのロビーにて、この奥の部屋から風呂へつながっています。
朝ごはんを食べていたらこちらのご主人の姿が見えたので、平成の水害の時どんな感じだったか聞いてみました。
その水害の時は台風で宿泊客がみんなキャンセルしたから、少し離れたとこに住んでいる子供のところに行ったそうだ。すると道が通れなくなっていて2週間帰ることができなかったらしい。十津川役場の駐車場の土台も流されたとも言っていた。やはり想像以上にすごかったようだ。明治の水害では移住を決断しなければいけない人達がでましたが、さすがに今の時代ではそこまではならなかったようですね。

ホテルを出る時、昨日色々教えてくれたお兄さんとすれ違った。帰りのバスが立往生してもいいように食料を買い込んでおけ、とのアドバイスを頂いた。そんな事も経験したのだろうか?他人の不安を煽りながらその方はとても楽しそうにしゃべっていた。

この写真は十津川荘と言うホテルの露天風呂です。神湯荘でも寒かったのに、こちらはもっと寒そうなところです。そのぶん雰囲気はいいのでこちらも一度は来てみたいものです。
ここから2キロ登った所の武蔵地区にある楠と佐久間の墓に向かいます。十津川村役場からちょうど東の山の上といったところでしょうか。
楠正勝は楠正成の孫でここ十津川の武蔵地区で十年余を過ごし、再起を図っていたが病気で亡くなり、佐久間信盛は織田信長に高野山に追放されたが、高野山すら追放され、ここ武蔵の里で療養していた。そして、1582年ちょうど本能寺の変の年に湯温地温泉で湯治中に亡くなったそうな。微妙に知られていない人達ですが、その時代には隠れるのに最適の土地であり、まさしく陸の孤島だったという事が分かります。

武蔵地区まで一時間程歩いたでしょうか、途中で見つけた何かの足跡です。雪だと動物が通った跡が分かるのですね。しかし、どんな動物かは想像すらできません。

この写真の建物から先が集落になっていました。あとで散歩していた現地人に聞いたのですが、これはキノコ栽培所なのだそうです。十津川キノコはスーパーとかで見かけますが、すごいでっかいシメジとかナメコなのです。それがこんな感じで栽培されていたとは驚きでした。その辺でムシっているかと思ってた。

キノコハウスから少し進んだところの集落は、山のなだらかな一帯が落ち着いた平坦地にあり、家や畑などが集まっていた。そして武蔵地区の名物、旧武蔵小学校の校舎にきました。明治時代の校舎だったか?(トイレは明治時代と書いていたが校舎はどうだったか忘れてしまった。)を当時のまま保存しています。中には入れなかったので外から覗いて満足しておいた。建築物は全然分からないから古いのかどうか分からず、綺麗にされているからむしろ新しいのかとも思ってしまう。
この小学校の裏に墓場があり、そこに楠とか佐久間の墓があり雪にうずもれていました。今でこそ村役場から1時間も歩けば来れるところですが、昔の主要道の西熊野街道からは外れており、やはり隠れ住んでいたといえるかもしれません。幕末の時期、田中光顕という人がここ十津川に逃れて来たのですが、西熊野街道では目立つらしく神湯温泉のある出谷の竜泉寺などに泊まったりもしたそうだ。今だとここに隠れ住むとかえって目立ちそうですね。

この付近をウロウロとしていると、雪かきをしていたお兄さんに「ここに泊まったのか?」と聞かれました。なんの事か分からなかったので役場の辺から来たと答えました。後で気づいたが、ここは「大森の郷」という古民家ホテルを外人に設計させ運営しているようなのです。それがまた高そうなホテルで思わずびっくりしてしまった。しかし十津川の雰囲気を少しでも味わうにはこの地区で泊まってみるのが一番いいのかもしれないなあ。

武蔵地区見晴らし台よりの眺め。案内板に見晴らしがいいと書いていたので登ってきました。案内板を作ったり、古民家ホテルを作ったりと、外界との交流を深める事で、出ていく人も少なくなるかもしれないですね。
山々の中でここだけが少し開けてる感じに見えますね。ここに来るまで舗装道がありましたが、それが無かったとしたらここまで上がってくる人もおらず、まさしく落人村であったかもしれないなあと感傷に浸っていました。

この写真の棒を一杯並べたものがなんなのか不思議に思っていましたが、散歩中の夫婦に聞いてみると、ハゼというものだそうで、土地の少ない十津川では米を干す時に少しでも多く干せるようにと、上に上に干していくのだそうだ。だけど今はもうほとんど使われていないらしい。十津川を象徴する道具が使われなくなった事で、十津川も物流の文化圏に入れられてしまい、この遺構もただの保存対象になっていくのでしょうね。
文化の途切れ目を見るようで少し悲しい気持になりましたが、雪のヘルメットをかぶった元気な白菜を見ると、そんなことはどうでもいいような気もしてきます。

最後に地図に載っていた神社にでも行ってみる事にします。その途中に居たこのヤギがメーメーうるさいのです。うるさいなと思い振り向いて見ると、この写真のように素知らぬふりをして目をそらします。もう一匹は棒に隠れてるから安全安心と思っているのかもしれません。

武蔵から元来た道を降りて、役場付近の定食屋で昼ごはんのかつ丼を食べた。日帰り温泉もやっているのが珍しかったけど、入る余裕はないので食べるだけにしました。
最後に十津川神社にお参りをして、資料館で西熊野街道の事を少々聞いた。次回来た時には是非通ってみたいと思うのです。なにせその道を幕末の時は多くの人たちが往来してたわけなので、どういうところかの雰囲気だけでも分かればいいなと。

そして昼過ぎ出発のバスに乗り込みびっくり仰天。またもや十津川博士カップルが乗っていたのだ!!相変わらずしゃべりまくっていてすごいなあと感心してしまった。

昨日の温泉でお兄さんがここの八木ー新宮線が奈良交通では花形運転手と言っていたので、どんな道をどんな風に通るのかに注目して乗っていたら、かなり楽しめました。路線バスだから新しく大きい道ではなく、古い細い道を通っていくのです。他の車はほとんど通りませんでしたが、微妙に危険な所もギリギリ曲がっていたりした。そして一度十津川行きの路線バスとすれ違いましたが、そこには大量の人が乗っており、私たちはちょうど空いている時で良かったなあと思ったのでした。

最後に八木に戻って喫茶店で休憩したのですが、そこでも十津川博士カップルが居た!!なんとまあ奇遇な事もあるものだ・・・・。また十津川に行って見かけたら衝撃的だが、その時は挨拶してみよう。



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