2019年02月 播磨散歩・3日目


本日はいよいよ竜山石を拝みにまいります。
姫路駅より東に数駅、加古川のすぐ西にある高砂市に宝殿という駅があります。その駅から徒歩20分程のところに石の宝殿があり、すぐそばの山は石切り場となっております。
その石切り場の切り立った岩場が駅からも見え、周りの風景に溶け込めず異様な雰囲気を醸しだしています。

この写真で見える石切り場は最近稼働していないようで、発破の音が全然聞こえないと地元の方が言っていました。

宝殿周辺のマップ ※クリック拡大
この地図は高砂市高齢者大学松陽学園が作成しているようです。少々見ずらいのですが思いが詰まった地図なので、歩いているとだんだんとイメージができあがってくる地図だと思います。
機能的な地図よりも人間が個々で持っている脳内地図の方が面白く、正確性よりもイメージを膨らませてくれるような、そんな地図がこれから必要になってくるのでは、と感じます。それが人口知能にはできない事であり、人の凄さだと思います。

さて、どんな岩が見れるのかとワクワクしながら歩いていたのですが、なぜだか道を間違え40分程かかってようやく石の宝殿付近へと到着。上で紹介した地図看板のあるところで地図を頭に叩き込もうとしていると、散歩中の男性が声を掛けてくれました。そして何故か案内してくれることになったのです。

地図を見ていた場所から少し坂道をあがると階段があり、それを登って行くと生石(おうしこ)神社に到達し、100円を払って中へと入って行きます。

中へ入ると鏡のように岩を映した池があり、その中心に自分の存在を誇示するかのように大岩があります。四方が約7m、高さ約6mの大岩なのですが、側面は溝のように凹んでいて、裏は写真のように出っ張りを作っています。
さらに、その岩の地面に水を張ることによって、まるで岩が浮いているかのように見せるという趣向を凝らし、浮石とも呼ばれているそうです。

上から見てみると変わった岩であることが分かると思います。
神社略記によると、石の宝殿は神代に作られ、生石神社は崇神天皇の時代に作られたとありますが、素直に史実だとは受け取れません。
ケンゴシ塚古墳や益田岩船などの変わった石造物と似ている気もするので、同じような時代に作られたように思われます。
何故こんなものを作ったのかは分からないようですが、石の加工集団の技術誇示であるような気もします。大王の側近を連れてきてこれを見せれば、古墳造りを任せてもらえ、様々な恩賞や土地などがもらえたことでしょう。
さらに不思議な事に、この岩場から出た屑石は一里北の高御位山の山頂に運ばれたとも書かれています。そんなことを本当にしたのかどうか一度高御位山へも登ってみないといけませんね。
もう一つ不思議なのが生石を「おうしこ」と読むことですね。「おうしこ」という読みから入っても何か面白い事が分かるかもしれません。

続いて案内されたのが、宝殿の頂上であります。岩場を段々に削った階段を上ると広い空間が広がっていて、「360℃のパノラマ」と案内マップに書かれているように見晴らしの良さは抜群です。

北側を見てみると屑石を棄てたとされる高御位山や山あいから覗く姫路城が見えます。
振り返って南側では、石切り場の向こうに臨海の工業地帯や明石海峡大橋が見えます。
案内してくれた方が三菱造船や神戸製鋼などが昔からあったと教えてくれ、高砂市という町が工業地帯で埋め立てられ、古代とはまったく違う地形なんだと感じさせられました。
そのつもりで地図を見てみると石の宝殿の山は海に突き出ているような場所だったようにも見えてきます。ひょっとすると高御位山の付近まで内海のような場所だったのかもしれません。海に捨てたはずの屑石が打ち上げる波に任せて高御位山に持っていかれたという可能性もあるかもしれません。
ふと思い出しましたが、琵琶湖の沖島にも石切り場があり、昭和40年頃まで稼働しておりました。私は台風の後に訪れたのですが、石英斑岩の屑石が畑に打ち上げられており、それらをポイ、ポイと海へ再度捨てていく作業をされておりました。
その作業の風景が、1500年前の高御位山でおこなわれていたとしたら面白い話しだと思います。

石の宝殿を出て次に向かう所が石切り場です。現在アート作品を作っているので見に行こうと案内してくれたのです。
その案内してくれた先が写真の松下石材店でありました。

石材加工の敷地内なので案内してくれなかったら入る事が無かったであろう場所です。わざわざ知らない私たちに声を掛けて案内までしてくれたおかげで大変面白い体験ができました。どうもありがとうございました。

こちらの企画は、文化庁と高砂市、松下石材店で協力し、竜山石で作る作品を6人にアート作家の方に依頼し、竜山石の事や高砂市の魅力を知っていただこうという取り組みでした。
門を入ってすぐ左手の車道から見える場所で、アート作品が公開制作されています。
この日は女性の作家、谷本めい氏が作業されていて、私を案内してくれている男性が気軽にしゃべりかけていました。作業中はマスクやゴーグルだったので分かりませんでしたが、若くて綺麗な女性だったのでちょっとびっくりしました。
写真左側の指で丸を作ったようなのが谷本氏の作品です。「結びの町高砂」というのが今回のテーマだそうで、イメージは分かる気がします。遠くから見ても分かりませんが細かい線のようなものを全面にひたすら入れていました。
谷本氏に作品の説明を受けたり、石を研ぐ砥石などを見せてもらったりしながら、周辺の作品も吟味しました。よく分からない作品がたくさん並んでいますが、曲線に作ったり、滑らかに磨いていたりと、手が込んでるのはよく分かりました。完成品はこの周辺に飾るそうなので次回行ったときにまた見てみたいものです。

この後、案内してくれた男性と別れ、石材店の女性の方が石切り場に連れて行ってくれました。発破後の安定期に入っているので崩れるような心配はないと言われ、比較的奥の方まで見に行く事ができました。

写真の岩が青石と黄石になります。このように二色混ざった部分が高級な石になるそうです。
剥けたてホヤホヤのクリーミーな岩が若さと活力を誇示しそびえたっております。その足元には風化してボロボロになり、転げ落ちている屑石が存在し、それはまるで若さに屈したかのように巨岩の前にひれ伏しているのです。それらを見比べながら、私は、世の栄枯盛衰を感じ涙する。
そんな私に石材店の女性は声を掛ける。「屑石ならば拾ってもいいよ」
私は非情なる言葉に胸がしめつけられ、その、哀れなる、哀れなる屑石たちを、ただただ、拾うのでありました。

石材店の石垣に今はほぼ取れないという赤石も混ざっておりました。赤というよりも、ほんのりと赤に色づいているといった感じの石で、その控え目な色合いが上品さを醸し出しております。
松下石材店は色々な用途の石を販売しており、石棺のレプリカやアクセサリーも作っていました。ホームページなどにも載っているので是非一度ご覧になってみてください。

親切に説明してくださった石材店の女性の方に暇を告げさらに北へ向かいます。先ほど案内してくれた男性が「北に丸亀製麺がある」と教えてくれていたのでそこを昼食場所にする為です。

すると西側に雰囲気のいいお寺が見えてきました。今見てみると何故いい雰囲気と感じたのかは分からないのですが、ついでなのでちょっと寄り道をしていきます。

お寺には竜山石を使った様々な石仏がずらりと並んでおり、赤石を使った「田の神さぁ」のような石仏や、

空海が鬼の首を取ったように置かれた、黄石、青石の仁王様。
この圧巻である石仏群を見てみると、石材の町であったのだということが感じられます。

そんな石仏群が集まる岩場を登って行くとすぐに頂上になり、先ほどの生石神社と同じようなパノラマの展望がえられます。ここでは生石神社では見れなかった高速道路や町並などがよく見えます。より近くを見通せるのでこちらの場所の方が私にとっては素敵な場所でありました。

この後、丸亀製麺でつまらないうどんを食べたせいなのか、お腹の調子が悪くなってしまいました。少し寒気がする中、最後に一つだけ見ておきたかった宮本武蔵の生誕地へ気力を振り絞り向かいます。

この巨岩の竜山石がワイルドな宮本武蔵にぴったりだと思います。



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