宇和島旅行5日目


本日は鬼ヶ城山という山に登り宇和島を眼下に見てみたいと思う。上から望むことで町を歩いていても新たなる発見があるものである。

宇和島を訪れた初日。鬼ヶ城山の地図が無いかと駅の観光案内所や図書館を見てみたが詳しいものが無かった。しかし、道の駅「きさいや市場」の観光案内所ではかなり詳しい地図を頂くことができ、安全安心に登ることができるようになった。もはや鉄道駅よりも道の駅のサービスの方が上回ってきている。

さて、5日目の朝である。ホテルを出て南へ南へと市街地を進む。幕末動乱の人物たちの看板を見たりしながらゆっくりと歩いた為、30分程もかかって野川登山口へと到着した。

ここから少し行くと自然道になり緩やかな坂道となっていく。しっかりと踏み固められた道であったので安心して登れるが、杉の枝が伸びすぎているせいか湿気がすごく、汗が止まることなく流れてくる。

野川登山口から一時間ほど登ると少し光が差し込んでくるようになってきた。ここからは汗も落ち着きホッと一息といったところ。
そのように安心しているとよく分からない分岐点に遭遇する。地図では四本松を目指すようになっているのだが、広場などという場所は書かれていないのだ。


謎の広場に行ってみたい気持ちも強くあったのだが、四本松方面に進んだ。そして、15分程歩くと写真のような看板に出くわした。
なんと!先ほどの標識はこの森のふれあい広場に行くためのものだったのだ!
「なんだこの森は?誰と誰がふれあうのか?」思わず疑問を呟いてしまう。興味が湧いてくる森で、できれば立ち寄りたいと思ったが先がまだまだ長いので、この森へは入らない事にする。

看板から30分歩きようやく四本松へと到着した。四本松には標識がたくさん付いてあり、分かりやすい分岐点になっているようだ。闘牛場がある丸山公園から四本松へ来ることもできるようで、宇和島の人はよくウォーキングをするのかもしれない。


四本松の次の目的地は尻割山である。尻が割れるほどの急坂らしいのだが、ここまでは別段大した坂道ではなかった。
しかし、ここからはどんどん坂がきつくなっていき、岩場も多く歩きにくくなってくる。本当に尻が割れるのではないかと思うくらいの坂だった。マップには40分程で着くように書かれていたが一時間もかけて登ることになった。

上がらぬ足を無理に持ち上げなんとか尻割山の頂上へと到着した。ここは展望が開けており非常に気分の良いところであった。
宇和島城の形もよく見えるし平地の少なさや海が入り組んでいる事もよく分かる。先日訪れた水ヶ浦まで見通せ、段畑に頼らなければ食料品にありつけなかったのも少し想像できる。現在では日振島までは見えないが空気の綺麗な昔は見えたのかもしれない。
ここでしばし休憩し、割れた尻を念入りにほぐしてからまた登って行く。

尻割山から10分も歩くとスーパー林道に着く。林道沿いに歩いていると八ツ面山と鬼ヶ城山と書かれた標識が出てくる。そこから山道に入り込んで行った。

道なりに進むと突如鬼ヶ城山の標識がでてくる。道は左に緩やかにカーブしていくのだが、右へ行けという指示に少し戸惑ってしまう。しかし、ここまではっきり書かれているものに従わないわけにもいかず右へ曲がり、道のような道でないような道を行くのだった。

不安に感じていたものの20分もすれば鬼ヶ城山の頂上へと到着した。これで我慢していた弁当にありつけると早々にコンビニ弁当の袋を開ける。


ここで悲劇が!なんと突然出て来た蜂にびっくりして弁当をほおり投げてしまったのだ!ガッツ食いしていたため半分ほどは食べれたのは良かったが、蜂ごときであまりにも情けない体たらくだった。

再度スーパー林道へ戻り、林道沿いを歩いてアザミ峠を目指す。途中、開けた場所で景色を眺めて見ると、四本松までのなだらかな尾根と、そこから急に上がる尻割山への稜線がよく見えた。これをみるときつかったことがよく分かる。


ずっと林道を歩いていると薬師谷方面への分岐点が現れた。ここの下りもかなりきついので、つづら折りに降りていく道となっている。

サヌカイトのような岩が落ちているが地質図を見るとここは泥岩層のようだ。その崩れ落ちた小石がとても多く歩きにくくて仕方ない。尻割山に続いてのきつい道であったので翌日の筋肉痛を覚悟した。


振り返ってみて鬼ヶ城山を見てみる。先ほど私が訪れた時は丁度晴れていたが現在は雲がかかってしまっている。町から見ていた時はいつもこのように雲に隠れていたのだ。これが鬼ヶ城の名前の所以なのだろうか?


林道から1時間ほど降りたところに「篠駄馬」と書かれた標識が出てくる。さらにマップには氷室跡なるものも書いてある。まだ昼過ぎなので駄馬や氷室跡を探しながら降りて行ったがさっぱり分からなかった。
翌日、資料館の人に聞いて分かった話だが、「駄馬」とは山がなだらかになった所の事らしい、つまり上写真のようなところが篠駄馬だったのだ。愛媛県にはこのような駄馬という名前の地形が1村に1つはあり、そこで祭りごとなどを開催するともおっしゃっていた。
ここの場合は氷室があるので祭りを開催するようになったのだろうか?愛媛県史にも詳しくは書いておらず、鬼ヶ城山のツララを篠駄馬に保管しておき6月1日から市中に売り出したとしか書かれていなかった。

非常に気になる所ではあったが、帰りのバスの時間もあるので諦めて帰ることにする。薬師渓谷は夏になると流しそうめんをやっているようで小屋には外人の写真が一杯貼ってあった。今は時期が終わり閉まっていたが、夏の一時期は賑わうのかもしれない。

弁当を落とし腹が減りすぎたので夜は中華屋で定食を食べた。味はなんとも言えないが満腹感を取り戻し、弁当の事は忘れてしまう。夜はホテルで割れた尻をまたもやもみほぐすのであった。







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