宇和島旅行11日目


宇和島旅行の最終日。朝食は松山駅構内にあった「ステラおじさんのクッキー」でモーニング。パン二個と小鉢類で量は少なめですが、変な工夫もしてなくて美味しかった。


朝食をゆったりとすました後は、道後温泉駅へと移動する。コロナ騒動で今は懐かしとなってしまった中国人たちもちらほらと見える観光地だが、少し脇道に入ったところに古本屋「猛牛堂」がある。最近よく見るタイプの綺麗な古本屋でしっかりと分類されている。外だけでなく中にも多くの古本がぎっしりと詰まっており、地元本の伊予の面影、忽那文書、河野文書なども置いてあった。


昼食は道後商店街の「魚武」というお店。写真は海賊うどん。コシの無いうどんだったが小麦の味わいがしておいしかった。鯛の切り身が入った釜めしも注文したが、こちらはスカスカしてて微妙だった。

昼食後は宝厳寺へ訪問。道後温泉の裏側にあるお寺で、かの有名な一遍上人の誕生地なのだ。
一遍は、寺を持たず、信者も持たず、という信念を持ち布教に励んだ鎌倉時代の人で、承久の乱で失脚した河野通信の孫にあたるという。「南無阿弥陀仏」を唱え踊れば、誰もが極楽往生できるという教えを、貴賤のへだてなく広めようとし、捨て聖と言われ日本中を自らの足で巡ったのである。


そんな一遍上人の印象とは違った趣のある山門があり、中へ入ってみるとさらに立派なお堂が建てられている。火事により最近建て替えられたようだが、踊り念仏で名の通った一遍なのだから、板敷きの「踊り屋」も再現して欲しかった気がする。

本堂で祈りを捧げ、隣にある一遍上人堂へ。
ここは展示館のようになっており、一遍聖絵という、上人の行状を記録した絵巻の解説が展示されている。鎌倉時代の風景が今に蘇り、上人のもとへ集う人々の表情もよく見える。


堂内に飾られた一遍上人の像。ほりの深い顔立ち、やせ細り尖った顎、吊り上がった目つき、絵巻とそっくりな厳しい顔立ちだ。手の合わせ方も前に突き出しており、このようにして拝んでいたのだと気づく。この格好で足を踏み鳴らし、南無阿弥陀仏と、ただ唱え、踊っていたのだ。
鎌倉では町へ入る事ができなかったが、京都では公家も庶民も男も女も問わず大人気だったという。なぜこのような現象が起こったのだろうか?
死が遠ざかった現代人に想像はつきにくいが、踊り、唱えるという行為が貴賤に関わらず、救いになるという事実だけは分かる気がする。
しかし、流行するということは本当によく分からないのである。現代でもコロナ騒動で「stayhome」が唱えられているという。主に都心部に於いてのもので、踊り念仏より層は狭いが、これも一種の踊り念仏だと思う。皆で「stayhome」と怒鳴りマンションで足を踏み鳴らし、それをユーチューブで配信するのであるが、そこにあるものはただ熱狂だけなのだ。

松山最後の締めくくりに、松山城の麓にある「東雲書店」へやってきた。外観はビルの一室という感じで書店だとは気づきにくいかもしれない。


店内は綺麗に整理されているが、無造作にケースに入れられた本のような書類のようなものがあると、古本屋らしさが漂ってくる。
吟味していると店主が「何を探してるんや?」と声をかけてくる。「伊予の本」と答えると、「漠然としすぎやが、伊予ならこの辺」と把握しているのが素晴らしい。最後の会計時に少しおまけもしてくれて太っ腹だった。

帰りは松山空港から関空へ。格安航空は本当に便利で助かるが、フェリーのようにじっくりと移動するのも楽しいものだ。一遍上人が旅した時はもっとじっくりと移動したのであるから、上人はもっともっと楽しかったであろう。






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