香川旅行2日目


香川旅行2日目。高松駅から電車で6駅、讃岐府中駅から降りてすぐの讃岐国府跡が本日の目的地です。途中の車窓に映るのは、五色台の青々とした山並みを背景に並ぶ住宅。いくつかの住宅の庭はかなり大きく、一面に盆栽を飾っていました。あまりに面白い風景だったので途中下車したい気もしましたがぐっと我慢。
後日訪問した高松城の陳列館前にも盆栽が飾っていて、松の盆栽の大半が高松で生産されていると説明されていました。盆栽の見どころは、造化によって自然を越えた美の世界が展開するところにあるという。そういえば高松市の木が黒松でした。


讃岐国府があった場所は、背後に城山、前方を綾川が流れる要害の地でありながら、綾川の流れに乗れば坂出の港がすぐそこにある交通至便な立地。さらには、東の高松方面から南海道も通っていたと目されていて、交通の分岐点であったことも国府が築かれた理由でありましょうか。
その讃岐国府を見渡せる場所、国府から南へ、綾川を隔てた対岸の丘に新宮古墳という古墳があります。少し回り道ですが、新宮古墳に立ち寄ってから国府へと向かいましょう。


綾川流域の国府周辺の大型横穴式石室古墳は、新宮古墳が最古といわれ、6世紀末〜7世紀初頭にきずかれたと推測されています。この時代に綾川の下流域に力をもった豪族が進出し、のちの国府や城山城の造営につながっていくそう。
石室自体はさほど大きくないのですが、切石で綺麗に積まれています。よくある石室と思いますが、花崗岩を使用しているのが香川県では珍しいと説明版に書かれていました。

この後の香川県埋蔵文化センター(クリックで博物館めぐりへ)は別に記載しております。

讃岐国府近辺観光マップ ※クリック拡大

埋蔵文化センターを見学後、国府周辺を散策。まずは開法寺跡から見ていきます。埋蔵文化センターから坂道を下ってすぐ、民家の脇の小道を通ると、柵で周辺の田畑と区分けされた場所があり、そこが開法寺跡で、塔が建っていたとされる礎石群と説明看板が立てられています。
説明看板を読むと、菅原道真が遺した漢詩集「菅家文草」に「開法寺は府衙の西に在り」と記述されていたそう。つまり開法寺が分かればおのずと国府の場所も分かるということですね。

高松城月見櫓でも見た四天柱の礎石です。順序的には後に高松城へ伺ったのでこのときは櫓と同じだとは思ってもみませんでした。建築の方式も気にして見ていると面白いかもしれない。
この開法寺塔跡の柵の外、東側が新しく発掘調査を行った区域のようです。その結果、長年、建物が建てられていることが分かり、その規格性や広場のような場所など、他の国府にみられる特徴と似ているそうです。さらには役人が使用する硯や帯飾り、釉薬をかけた器や建物に使用された多量の瓦などをとってみても一般集落とはまったく違うということです。

開法寺跡を離れ、のどかな田畑広がる畦道を歩き、国府跡の碑の場所へ。高台からどんどん下っていき、川のすぐそばに来てようやく国府跡へ到達します。あまり川に近いのも危険ではないかと思うのですが、綾川が国府の手前で急激に流路を変えていることから考えると、この地はかなり硬い地盤なのではないでしょうか。硬い地盤であるため古代には手つかずで、6世紀末頃に勢力を伸ばしてきた豪族というのが、この地を整地したような気がします。実際、新宮古墳には香川では珍しい花崗岩が使用されているわけですから、石の加工はお手のものであったかもしれません。だから川の近くでも安全・安心に暮らしていけるのでしょう。

写真の碑は、大正14年に建てられたもので、当時は主に地名による研究が行われ、この地が讃岐国府のあった場所だと推定されました。説明看板には地名研究で判明したと思われる、垣ノ内(国庁の区域)・帳次(諸帳簿を扱った役所)・正倉(国庁の倉)・印鑰(国庁の印鑑、かぎの保管所)・聖堂(学問所)が紹介されていました。
地名でほぼ分かっていたのに発掘する必要も無さそうですが、どのような建物があったか分かるのも面白いので、これからも頑張って発掘してもらいましょう。

ここからはさして興味のない崇徳上皇巡り。保元の乱に敗れた上皇がこの地の鼓岡神社に蟄居させられていたそうです。もっと辺境の土地に流してもいいと思うので、讃岐国府に流罪にした理由が気になります。


家の玄関先にある菊塚、畑の中にまぎれているのは椀塚。地元では流罪人とはいえ天皇が来られたというので大切にお祀りしております。菊塚は崇徳上皇の皇子で綾家の跡継ぎになった人物の墓だそう。椀塚はその名のとおり上皇の使用した椀を埋めた場所です。

崇徳上皇巡りを終え、緑が一面に広がる畑を横切り国道へ向かいます。私はこの緑の作物がネギの一種だと思っていたのですが、実際は違っていました。


たまたまおられた畑の人に聞いてみると、裸麦という麦で、麦飯か粉にしてお菓子に使うとのこと。今は麦が分結してどんどん多くなる時期だと言っていました。裸麦だと教えてもらうまで、少し変わったネギだと思っていた・・・。5月頃には80センチほどになり刈り取るんだそう。そして、米を植える。完全なる二毛作であります。ちなみに下写真に映っているのがネギであります。

手動の踏切りを渡り、国道を坂出市方面へひたすら歩く。途中マップを見ていると、「がもううどん」という名店が近くにあると書いていたので、ガソリンスタンドで場所を聞いてみました。すると意外と遠いようなのでもう諦めることに。近頃の讃岐うどんのわけの分からないロケーションに徒歩者やお遍路はついていけぬのであります。


「がもううどん」ならぬ「かれいうどん」名前的にも似てるしここでいいかと入店。シンプルなうどんで量も多く、空きっ腹にはとてもよかった。

うどん店のすぐ隣には鴨廃寺跡地に建てられた鴨神社がありました。(2020/10/22追記・香川県埋蔵文化財センターでみた地図によると、鴨廃寺はもっと東の山裾に位置しているようだ。跡地は正確ではない)。神社の手前に墓場があり、数基の古い五輪の塔が並んでいました。
手前の2基は江戸時代の元号が書かれていましたが、他は分からず。


そして、後ろにある方形の1基が指定文化財になっている「宝塔」です。
説明看板を読んでみると「角礫凝灰岩製で、国司藤原景隆の裔、入江氏によって建立されたといわれる。現在の高さは1m40cm。この様式は鎌倉初期をくだらないもの。」と紹介されています。
角礫凝灰岩とは奈良のドンズゥル峰のものと同じですね。白くて脆そうですが、それゆえに滑らかな部分がうまく造形されています。他のものは石材が違うようでありますし、作りもすこし雑に見えます。

鴨神社を出たあとは国道をまっすぐに北西に向かい金山を目指します。変わりばえのしない道をダラダラと30〜40分かけて歩き金山へ到着。山麓は鉄道が走ったり民家があったりで容易に金山へ入る事ができません。仕方なく山沿いに歩いていると、墓場があり、そこから山へと入れるようになっていました。例の如くの手動踏切を渡り急坂を登る。少し登ったところからは、サヌカイトがゴロゴロと転がり落ちています。


石垣もサヌカイト、階段もサヌカイト、と惜しみなく使用しサヌカイトの山をアピールしています。当初は黒光りするツヤツヤのサヌカイトを見ては喜々としていましたが、すぐに慣れてしまって気にしなくなってしまいました。希少価値が大切なことを思い知らされます。
やや登ったところに、金山神社という鳥居が出てきました。昔は人々が往来したであろう道ですが、現在はこの鳥居よりも上の山の台地にニュータウン住宅が建設されていて、そちら側は車道で国道とつながっております。そんなことは露知らず、鳥居をくぐりどんどん上に登っていく。サヌカイトの大きな露頭があるのではないかとワクワクしながら歩いていたのですが、着いた先がニュータウンでがっかりしてしまうのです。

ニュータウンから舗装道がさらに上に続いていたので登っていきます。途中公園のような場所があり、門があったのですが、開いていたので入っていきました。そこで、振り返り坂出市を一望。海が近いし、かなり広い平地です。昔はこの大部分が塩田だったのでしょうか。


さらに先に進んでいくと「香川県資源研究所」なる社団法人がありました。そこはサヌカイトを使用したアート作品を作っているのか、サヌカイトの石製品がたくさん置かれておりました。少し中に入り、声を掛けてみたのですが誰も出てこない。名前からするとサヌカイトを資源と見立て、どのように活用していくかを考えている場所であろうとは思います。詳しく知っておられる方には教えて頂けたら幸いであります。

さらに奥に行くと瑠璃光寺というお堂と金山神社がありました。金山神社は湧き水の場所として大切にされていたようで、昔の金山市の人々はこの金山神社の祭りを楽しんだそうです。それがいつのまにやら荒れ放題となってしまったので、昭和62年に再建した、と由来が書かれていました。
現在もまた忘れられた地になってしまいそうですが、資源研究所が管理しているのか、サヌカイトを灯篭の土台に使ったり、石段をサヌカイトで作ったりしています。機械を使えばサヌカイトを綺麗な断面に仕立て上げることができ、しっかりとした土台に使用することもできるのですが、サヌカイトの滑らかな美しさが失われてしまうので、サヌカイトの資源活用方法としては間違っていると思います。

さらに上に登り、株山のような露頭を見たかったのですが、急に暗くなってきてこれ以上は登れそうもありませんでした。
今回はこれで帰宅することにしたのですが、金山から坂出駅までが意外と遠く、建物が多くて道も分かりにくい。変化に乏しい坂出の町の景色の中を歩いていると、足だけではなく気分も疲れてくるのでした。





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