旅行で気づいた中国人民についてC


今回は中国人の娯楽についてです。旅行でチラッと見ただけなので本来の姿とは違うかもしれませんが、思った事を書いていきたいと思います。

まず、中国での土地や住居は国家のもので、人民は基本的に使用権を買うようであります。詳しくは分からないのですが、使用権には有効期限がついていて、その期限が到来すれば住居は返さなければいけないのです。その為だと思いますが、家の中を改装し自分のすごしやすさや好みを住居に反映させることがないのではないでしょうか?それを示しているように、外で過ごしている人が非常に多い印象でした。とにかく歩きながら誰かと話し、モグモグと買い食いをする。その他、釣りやダンスだけでなく、ゲームやスマフォ―なども外でやる事が多いようです。

写真は夷陵区の新築住宅。このような高層マンションがあちこちで建設されており、一昔前のマンションはどんどん壊されてます。これが社会主義の土地のあり方だと考えるのか、地震などの災害が少ない為と考えるかはなんとも難しい問題です。
値段も書いていて入居者募集中だったのを見て、金に敏いカシ女がすばやく計算します。4500元/1uとノボリに書かれていて、日本円に直すと約8万円少々、標準サイズを86uとしていたので約700万円。日本から見ると異常な安さに思えます。しかし、後からネットで見た限り、内装や設備がついていない事もあるそうなのでここからまた高くなる可能性もあるかもしれません。

上写真が一昔前のマンションです。洗濯物の干しっぷりと鉄格子が格好いいです!
現在、このような古い建物はどんどんと壊されて新しいマンションへ移行中のようです。CGで描かれた未来予想図があちこちの看板で掲げられていて、そこには鉄格子も洗濯物もついていない高層マンションばかりが描かれています。思えば、日本でも同じような未来都市図が開発用地によく掲示されています。国だけでなく主義まで違うにも関わらずやる事はあまり変わりないですね。そこから考えると上で書いたような社会主義だから好きなように建築できる、ということではないようにも思えます。

下写真は夷陵区の高層マンションのそばの黄金公園という場所です。夷陵区という所は宜昌市街地からバスで30〜40分ほどかかるところで、郊外のニュータウンといった雰囲気だと思いました。学校、文具店、駄菓子屋が多く見かけられ、都市部より多めに道路に緑が植えられている、小学校の前ではたくさんの親たちが車両進入禁止の棒に腰かけ我が子の帰りを待っている。子供や教育に力を入れた地区のように感じます。
その黄金公園内で人民達はほぼみなさんカードゲームに興じています。公園の周囲には野菜売りの人達がたくさん来ていて、人が集まる場所であることを示しているかのようでした。


午後も4時を過ぎ、日差しには優しさがおとずれ、過ごしやすい陽気の中、人民達は木陰の下で静かに人生を謳歌します。普段は騒々しいように感じる中国人達もゲームに熱中していると非常に静かなのです。見学の方たちや私たちも静かに勝負の行方を見守ります。
樹幹の下部の白く塗られたものは防虫剤のようなものだと思われます。他の場所でも人の手の届きやすい所にはこのように白いものが塗られていました。道から外れた奥に入ると白いものは塗られていないので、中国人が虫に対する苦情などを入れているのかもしれません。(虫ごときを気にするような人が中国人をやれるとは思えないので、他の理由である可能性が大。)


こちらは宜昌市街地の市場での風景。仕事中?仕事終わり?にはこのようにみんなでゲームを楽しみます。時々麻雀をしているところもありましたが、カードゲームが圧倒的に多かったです。
まだまだ客足も絶えない中、いたるところでゲームをしています。肉をぶら下げているその横で、鶏たちが檻に入れられているその後ろで、ところかまわずカードゲーム。あのスナックのようなものを注文したら、果たしてどの人が袋詰めしてくれるのか?興味深いところです。
この写真のように見物人も真剣になるようなカードゲームとは一体どのようなゲームなのでしょうか?私の思いつくカードゲームはポーカーとババ抜きしかないのですが、ご存知の方は教えていただけると幸いです。


宜昌ではよく見たカードゲームも武漢では見る事はありませんでした。武漢でよく見たのは麻雀で、店舗型の雀荘もあり大賑わいでした。写真のように男も女もみんなで麻雀を楽しんでいます。もう少し中国語が理解できるようになったら是非入ってみたいです。
雀荘という商売が成立するような都会の武漢では、人民達の態度も宜昌とは少し違い、人慣れしているせいか、愛想が良く、タンを吐いたり舌打ちをしたりしませんでした。宜昌では若い女性でもタンを「カァーーペッ!」と吐きまくっていました。

両都市に共通する娯楽として存在するのが「麻雀」、そしてもう一つ「象棋」というものもあります。
自分が覚えている知識では、インドが本家のボードゲームで中国に伝わり象棋になり、そのほか大将棋や中将棋などと進化していき、日本にはどの時点で来たのかは分かりませんが、江戸時代には将棋として指されていました。
象棋やチェスなどの類似ゲームでは取られた駒はすべて討ち死にとなり使用不可になりますが、日本で発展した将棋は相手の駒を取れば自由に使うことができます。このルールをうまく組み込みつつゲームとして成立し得ているというところが、将棋の最大の特徴だと思います。
上写真が宜昌市、下写真が武漢市です。


饅頭のような大きなコマを使って、対局者だけでなく、見ている人達も必死に考えております。将棋とは盤もコマも違うし、重ねているものやら、色が赤いものもありさっぱり分かりません。これも中国語が理解出来たら勝負してみたかったです。
少しのスペース、二人でできるという手軽さから麻雀よりももっと普及しているのではないかと思います。日本でも麻雀は中々人数が集まらないので、昔から将棋の方が人気だったと思います。
私が子供の頃はあちこちでおっさん達が将棋をこのようにやっておりました。みんな真剣で一手一手に一喜一憂し、相手が策にハマるかどうかドキドキしながら相手の手番を見守りました。玄人将棋とは違って、素人将棋の面白さというものがあり、「どないや!」という自信満々の手の後に王手飛車取りを食らったりするものなのです。食らった対局者は「アーー!!」と叫び、周りの観戦者はニヤニヤしたり、苦笑したり。短気な人は盤をひっくり返します。
ちょうど下写真の左の人がひどい手を食らったようで「アイヤ―!」と叫んでおりました。

古本屋さんには象棋入門なる本が置いてましたが、不思議な事に囲碁や麻雀などの本はありませんでした。私は子供の頃に麻雀の本で役を覚えたのですが、中国人にとっては麻雀とは覚えるものではなく身に沁みついているものなのです。子供の頃から身近に存在しすぎているということは、今回の旅行でよく分かりました。
囲碁については打ってる人を見かける事が無かったので不思議に思っていました。中国の囲碁は強く、日本の七冠王がかなり負けているらしいので、プロとして職業化されているために気軽に遊べるものではないのかと思っておりました。ですが、後でネット検索してみると、中国は国家として育成に力を入れているだけで、一般大衆に囲碁というゲームは浸透していなかった模様です。

今まで見てきたゲームは少し年配の方たちの娯楽になっていて、若い人たちはまた違った娯楽を持っているものと思われます。

その1つがコスプレで、若い女の子達が多くやっておりました。写真の場所は武漢の晴川閣という観光名所ですが、ここにはコスプレという同じ目的の方がたくさんおりました。また、自撮りをしている方も多く見受けられ、楽しみ方の幅は広がっていると感じます。
晴川閣はまた結婚記念撮影のスポットにもなっているのか、大勢の撮影スタッフに囲まれる宮廷王女のような恰好をしたカップル達が、あちこちでポーズを取り、現代の異空間と化していました。これが新時代の娯楽なのでしょう。

長江やその支流が流れる宜昌市や武漢市では釣りをやっている人も多かったですし、整備された山道でハイキングをしている人や公園の広場で社交ダンスを楽しむ方々もおられました。


そんな中で一風変わったものがこちらの「中国体育彩票」であります。町中で時々見かけるので気になってチラッと覗いてみたところ、ホワイトボードのようなものに何か書いていて、不思議な店だなと思い、frenさんに聞いてみたところ、中国の宝くじとの事でした。中国では国家としては賭け事を禁じているので、いくらかでも娯楽を与えておこうということだと思われます。
共産党体制といえどもギャンブルを完全に禁じる事が難しいことの現れがここに出ているのではないでしょうか。売春店なども禁止されているようですが、立ちんぼ、のような女性たちも見かけましたので、禁止されていても求めるものは止められないということですね。

賭け事に関して、資本主義の日本では国家や自治体が管理し金銭が国へと流れる仕組みになっている。共産主義の中国では人民同士での流通となり国へは流れていかない。このような不思議な構造を肌で感じとれるのが中国ではないだろうか。





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