旅行で気づいた中国人民についてB


今回は、宜昌でたくさん居た客引きから中国人を見ていきます。

旅行3日目の事、私たちは宜昌東駅へやってきて帰りの高速鉄道の切符をあらかじめ買ったのです。下写真のバスが止まっているところがバスターミナルで、大きな建物は高速鉄道の駅になります。

人々は皆それぞれの目的地へと向かうため周辺を移動していきます。そんな中で群衆の流れに抗い、少しでも流れを塞き止めようとひたすらしゃべりかけている人がいます。タクシーや三峡渓谷の旅行の勧誘だと思われますが、ほとんどの人に無視され続けていました。私たちは言葉も分からないし、声を掛けられても困るのであまり目を合わさないようにしていました。

さて、高速鉄道の切符を購入した私たちは、写真の少し左側にあったバス路線図を見ていました。路線図を見ながらあーでもない、こーでもないとメモ代わりの写真を撮っている私たちを、周りはどのように見ていたかは分かりませんが、客引きのおばさんには鴨だと思われていたようです。
突然私たちの後ろに現れガミガミとまくしたてるようにしゃべってきたのです。二人共40〜50歳くらいで、一人は少し太っています。丸い顔をさらに丸くさせて豪快に笑いながらしゃべってきます。もう一人は小柄で面長な人で、こちらは落ち着いた感じでしゃべる人でした。二人は豪華客船のチラシを見せて「いいだろう?」というような素振りをみせます。私たちはそれを見て豪華客船を自慢しにきた人なのだと思い、相槌をうち「綺麗」とメモに書いて見せました。
丸顔のおばさんは勢いよくしゃべりながら豪華客船のチラシをぺシぺシとたたきます。小柄なおばさんは私たちが書いた「綺麗」の文字を見て首をかしげながら必死に何かを考えていました。そして何かに気づいたのか、ポン!手を叩き「綺麗」の下に「可以」と書き始めたのです。

上写真が実際に書いたメモです。お分かりになるだろうか?「綺」の糸偏をぐしゃぐしゃっと消して「可」にし、「麗」の比の部分を捻じ曲げて「以」にして、「可以」と書いております。
※後で気づいたのですが「可以」には「構わない」という意味があります。
この時は「可以」が「綺麗」の中国語版だと思っていたのでまったく気にしていませんでしたが、「豪華客船に乗っても構わない」と返事をしたと思われたようです。それを太ったおばさんに告げたのか、太ったおばさんはさらにヒートアップしてしゃべる。しかし、さすがに通じないと思ったのか「英語説話」と書きどこかへ電話をかけはじめました。そして私たちにスマフォーを差し出し話せといってきたのです。
英語の分からない私たちですが、渋々スマフォ―を受け取り電話に出てみることに。
「ハロー?」スマフォ―の向こうから若い男の声がしました。滑らかな発音から考えると西洋人にも思えます。
固まるカシ男、畳みかける英語男「オー、ペラペーラ、ペラペラペーラ」まったく聞き取れず、何を言えばいいかも分からなくなり、「分からない」と言いスマフォ―をつきかえしました。おばさんは少し困った顔をしましたが、勢いが衰えることなくしゃべりかけてきます。

メモの次の頁を見てみると「決めろ!決めろ!一間140元だ!」と書かれております。安く見えますが、これはおそらく部屋の値段だけで、その他モロモロの料金がかかってくるはずです。私たちは甘い言葉に騙されずに断ります。しつこく食い下がるおばさん二人。太ったおばさんは再度スマフォ―に出ろと言い、小柄なおばさんは何故か紙幣を出してきてモゾモゾとしています。ひょっとして金出すから行ってくれってことか?と思いましたが、なんて聞けばいいか分からないのでスルーします。
最後におばさん達がひと押ししてきました。「他にも一緒に行く人達がいるよ」と、広場の奥の方を指さします。そこには韓国人っぽい若い男女が二人座っていてこちらに向かって手を振ってきました。
カシ男「・・・・・・どこから出て来たんや!」
言葉を失った私たちは彼らに手を振り、客引きのおばさん達にも手を振りその場を立ち去ることにしました。おばさん達は金が取れないと見るや一瞬でまったくの無表情になり違う獲物を探しはじめるのでした。

このおばさん達はどこかの旅行会社が出していると思われるチラシを持って勧誘していました。どういうつながりかは分からないのですが、お金を出してモゾモゾしていた雰囲気からノルマがあるのかと思われます。日本でも自腹営業など同じような事がありますし、経済の主義が違うにも関わらず同じような事をしているのが少し不思議な感じがしました。
もう一つ気になるのが日本人に対して英語で説明しようとしたことです。同じ漢字国ですから筆談の方が無難ですし、実際ある程度はそれで伝わっていたにも関わらず英語を使おうとしました。きっと英語男を切り札にしていつも使っていたので、同じように使ったのだと思われます。
日本人の対応をあまりしたことがない客引きの彼女たちも、今回の事で日本人は英語が聞き取れないと理解したでしょうし、豪華客船は日本人の好みで無いこともわかったでしょう。

外人には英語というのは他の場所でもありました。
初日に宜昌のホテルでチェックイン時に付近の地図を要求し、6元が必要だと言われました。すると、横に居た中国人の男が「ペラペラペーラ」としゃべりだしたのです。私たちはまったく聞き取れず、しばし固まっておりました。分からないのでメモを差し出し書いてくれとアピール。すると、男は英語で「gift for you」と書いてくれました。そうです。彼は英語でしゃべっていたのです。私たちが固まっていた時、彼も固まっていたのです。後で彼の表情を思い返してみると、「俺の英語が通じないとは・・・・」といった顔をしていたように見えました。
このように中国では外人には英語という常識があるのかもしれません。しかし、日本に中国人が来たとして英語でしゃべる人はいないと思うのです。そういう点で在地の中国人から日本人はどのように見えているのかを是非聞いてみたいところです。


同じ日の午後、宜昌東駅の客引きから逃げた私たちは「葛州堰」というダムがある場所へとやってきました。何の目的も無くダムのすぐそばにある公園で、中国人民たちが卓球をしているのを横目に散歩をし、帰ろうとしていたその時です。


公園の入口には写真のように看板が建っていて、帰り際、私たちはそれを見ていました。すると、例の如くどこかから女性が出てきて私たちの後ろから何かしゃべりはじめたのです。宜昌東駅の時と比べ、こちらの女性は少し若くて穏やかな口調でしゃべる方でした。ニコニコと愛想もよく少し怪しいですが、メモにたくさん文字を書いてくれる人であったのは助かりました。

あまり詳しく分からないので断ろうかと思っていたけれども、1:30小時だし、どんな所へ連れて行ってくれるのか興味が湧いたので思い切ってついて行ってみる事にしました。一人50元で二人で100元を支払います。元々、愛想が良かったその女性はさらに機嫌がよくなったようで、公園の事務室に連れて行き、タクシーを手配するからここで待ってお茶でも飲んでくださいと、水筒を差し出してきました。
公園の事務室は十人ほど入れる広さだったでしょうか、薄暗くどことなく陰湿な空気が漂っています。真ん中には4人掛けのしっかりとしたテーブルがあり、そのテーブルから見える壁に公園内の監視カメラのモニターが数台設置されている。もう一部屋は仮眠室であるのか、扉が閉まっており、そこから初老の男性が出てきてこちらを不審そうに眺めていました。

重苦しい部屋には不釣り合いな笑顔を浮かべて、女性はスマフォ―をせわしなく操作する。幸いタクシーはすぐに手配できたようで、お茶を飲む間もなくせわしなく出発させられました。待ち合わせ場所まで歩いて行くと言い、公園を横切り十分ほど歩きダムの堰の部分へと到着。

この堰の部分が名物で水位が35メートル下がるだとか、全長が2100メートルだとか書いてくれ、色々と説明をしてくれます。しかし、それにはあまり興味が無いので、「あなたは公園管理者なのか?」と聞いてみました。「我是中国国旅導遊」と書かれ、旅行案内人であることが分かります。他にも聞きたい事が山ほどあったのですが、言語能力が無さすぎで諦めるしかなく次回への宿題とします。

堰の上でダムを眺めながらしばし待っていると、バン型の車に乗った運転手の男が来ました。男はスリムないでたちで革ジャンにジーンズという中国人らしくない服装。私たちは男ともしゃべってみたかったのですが、男の方は客に対して何らの感情も持ちたくないのか一切目を合わさない。その割に、車に乗るや否や案内女性とベラベラとひたすらしゃべりだす。女性の方は時折窓の外を指さしダムだとか見晴らしが良いだとか教えてくれたのですが、中国人に興味を持っている私たちにとって、景色が目に入ることはありませんでした。

車はダムを離れ違う場所の橋を渡ります。橋を渡り切った向こう側は一昔前の町なのか、あちこちで建物が取り壊され瓦礫に溢れていた。車の交通量や歩いている人も他の場所に比べると少なかったですし、店もちらほらとしかありませんでした。開発による取り壊しの最中で、ほぼ廃墟と化していると思われますが、私たちが興味を持った場所を案内してくれることはありませんでした。ここは積極的に「観たい」と言えば良かったと後悔しています。

そんな道を10分程走り到着した場所が「累祖廟」という場所でした。道路を少し拡張したような駐車場の脇には土産物屋のようなものが数軒並び、そこに青い服を着た店員のような若い男が数人いました。運転手の男は車を止めると、すぐにその男たちの元へ行き、ベンチに座り煙草をふかす。どうやら車の中では遠慮していたようだ。
駐車場からは階段で登って行くのですが、案内人の女性がその階段の前で、ここに入るのには川票一人30元が必要だと言い出したのです。私たちは日本人らしい日本人であったのでやんわりと断った。しかし女性はしつこく30元払えと言ってきます。そんなことを何度か言い合っているうちにムカついてきたので「あんた最初一人50元ゆうたやんけ」と強い語気で言い、もういい帰る、という素振りをしてみせました。
すると女性は突然キリッとした男前顔になり「お金はもういいから付いてこい」という素振りを見せます。私は気に入らないので帰ると言う。女性はメモに「爾己経付我銭了」と書きました。あなたはすでに私に銭を払ったのだから付いてこい、という事だと理解し付いていくことにしました。
そんな我々のやり取りを見守っていた、駐車場に並ぶ小さな土産物屋の男たちがいきなりヤイヤイ言い出したのを、女性は手で振り払い何かを叫び返していました。何かの利権で結びついていたのでしょうか?これも知りたいところでした。


累祖廟の詳しいことは勉強していないのでよく分からないのですが、中国古代の王、黄帝の后が蚕から糸を作る技術を編みだしたので祀っているということらしい。ここで技術を開発したのか、出身地なのかは分かりません。
廟は二階建てで、一階の中央に累祖の像が飾ってあり、二階には板札売場があり、景色を眺めれるようにあちこちの窓が開けっ放しになっておりました。中国らしく濃淡のある赤色を使ってカラフルに見せているのですが、廟内の薄暗さが色の鮮やかさを抑え込んでいるように見えました。
薄暗い廟内に関係者と思わしき人々がいます。男女共にラフな服装をしていたので、薄暗さもあいまって怪しさが増していきます。そういう雰囲気だからなのか累祖の像も少し怪しげに見えてきて、像の前に置いてあった「累祖研究」という本までもが嘘っぽくなってしまいました。本を見ていた私たちに二階から男が「その本は非売品だ」というような身振りをし、中国人には珍しい金髪の女性が寄って来て何かをしゃべる。
私たちが彼らを怪しいと思っていた以上に私たちが怪しまれていたのかもしれません。そういえば川票も拒否したんだった。

川票を拒否した我々でしたが、写真の赤い板札は購入いたしました。この板札に何が書かれているのか見ていたら案内人の女性が「それ1つ10元で売るよ」と言ってきたのです。
「じゃあ2つもらいます」と言い、二階の板札売場まで連れていかれます。すると案内人の女性は突然「1つ20元だ」と言い出したのです。
もう慣れてしまった我々は「それならいらない」と手を振り、帰ろうと促します。すると何故か10元に戻ってしまいました。このお札には名前と願い事を書いてこのお寺に吊り下げるので、願い事「迷走断絶」と書いていたら、何故か売り子の姉ちゃんが苦笑していた。中国語では笑う意味なのでしょうか。不思議なものです。

ここを見学してだいたい時間が過ぎ去ったようで、またダムの堰のところへと車で戻ります。我々が車から降りた途端にタクシーの男にスマフォ―で50元分配していたのが見えて少しびっくり。客の私たちがいる目の前で分配するのか!とびっくりしましたが、中国人らしい豪快な雰囲気には好感が持てました。
結局タクシーの男は私たちと一度も目を合わせることなく立ち去ってしまった。こういう行動も非常に気になります。
さて、ホテルまでのタクシーを探すと案内人の女性がいうものの、私たちは歩いて帰ると言い一緒に公園の事務室まで歩く。色々と聞きたい事があったのだが、うまく通じず、子供に英語習わせている事と40歳くらいだということしか聞けませんでした。

こちらの客引きの方はあくまでも旅行案内人であり、川票も騙すようなつもりはまったくなかったと思われます。そして、赤札の値段がコロコロ変わるところから見ても「値段」というものに対する考え方の違いが現れているのではないかと思いました。つまり赤札に対する人の思いがそれぞれに違うということです。5元の価値しかないという人もいるだろうし、50元という人もいるかもしれません。なので「あんたはいくらで買うかい?」ということだと思います。中国だと量り売りが基本だし、常に「値段はこれだがいいか?」と聞いてきます。このことから商売とは常に交渉であるということが身に染みているということです。日本の場合は全ての人が効率化を求めた為、価格固定となってしまい、商売というものの考え方が違ってしまったのだと思われます。
別の場所でサクランボの行商人からサクランボを買おうとして、メモで半斤で売ってくれと書いてみましたが、「半」という言葉が無いのか通じず売ってくれませんでした。しかし、交渉には快く応じ言葉が通じないながらも色々と掛け合えました。

そして「累祖廟」にいた人達のうさん臭さがとてもいい雰囲気なのです。次回行く機会があればもっとゆっくり見て周りたいと思います。そしてもう少し言語能力をつけ、この廟を管理しているのは何者なのかを聞いてみたいと思っています。





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