レストランで中国料理をいただくの巻


前半の5泊6日は宜昌市の朝食バイキング付きのホテルに泊まりましたが、今思うと、朝食バイキング付きである事のメリットはとても大きかったです。

例えばです。日本でもお昼を外で取ろうと思った場合、1人で済ませるファーストフード系からカップル向きのレストラン、家族で気楽に楽しめる食堂など、さまざまなジャンルがあります。抵抗感は別問題として、1人でカフェに入ってオシャレなランチプレートを1人分注文することはできます。あくまでも食べる量の問題として言っているのですが、大家族がモスBなどに入店しても対応してくれることでしょう。日本はあくまでもジャンル(雰囲気)として「〜系」という風にほんわりと分類しているに過ぎないのですが、中国となるとジャンル分けどころではない事情があるようです。

私が思うに、屋台系とレストラン系にまず大きく2つ分けることができるでしょう。屋台系はもちろんお一人様向けであり、家族でしかも多人数で食事をするときはレストランという風にはっきり分かれているように思えます。なぜなら、レストランには1人向けの「定食」サイズがほぼ用意されていないからです。カップルがレストランに入店した場合、残さない前提なら2種類のお皿しか食べれないことを覚悟したほうが良いでしょう。


どどーん。
宜昌市に到着した初日の夜のご飯です。ショッピングモールの中にあったレストラン「粥行天下」、店員さんはもう1個どうぞどうぞと注文をしきりに勧めてくるが、様子見で2皿頼んだらこの量でした(68元)。んもー無理!!右の黒い壺には大量の「お粥」が入っており、しばらく凝視してしまったのですが「もったいないお化け」世代なので頑張って食べ切りました。でもね、お粥も焼きビーフンもとってもおいしかったです。付け合わせにパクチーやピーナッツが添えられているのには、やはり文化が違うなぁと感じ入りました。

宜昌市の水悦城(ショッピングモール)にあった「粥行天下」の店構えです。イオンモールの飲食街と何ら変わる所がなく、ここが中国だということを忘れてしまいそうになります。メニューリストに注文したいものを鉛筆でチェックを入れて店員に渡す形式のお店でした。1皿の量がこんな具合でしたので、様々な料理が少しずつ味わえる朝食バイキングがありがたかった訳です。屋台とはまた違うメニューも味わいたいですしね。


これが、ホテルで頂いた朝食バイキングです。特徴的なことは、
・白米が絶対出て来ないこと(蒸しパンや焼きそば、炒飯、お粥が出てくる)
・塩茹で卵が人気であること
・茹でたて麺が人気であること
・果物と豆乳が日常食であるらしいこと
といった事でしょうか。おかずも色々出ていましたが、基本的に炒め物です。さすが中国ですね!

・・・ん?
カシ女は「トカゲかカエルか…」と警戒心剥き出しで避けていたおかずを、カシ男は皿に取っていたのでした。なんなんだ、これは?口に運んでみると、コリコリと噛みごたえがいいらしい。「意外にうまいで」と勧めてくるが、正体が分からないうちは食べない!と頑なに拒むカシ女。「次、出てきたら聞いてみるわ」と言って3日後、また出ました。あの黒いのが。
意を決し、接客していたホテルの従業員に聞いてみると、「黒鶏のひづめ」だと言う。知らなかった…ひづめって食べれるのね…。
こんな風に、ホテルの朝食バイキングを選択することによって、珍しい料理を体験することができるのです。一皿の量が多いレストランや一品がすべての屋台では食べることができなかったでしょう。


「中国のレストランには、定食サイズや2〜3人用サイズというものがなく、常に多人数用しかないのだ」という最初に述べた結論に至るまでには、そりゃもう色んな紆余曲折を経ました。
長江のほとりの町らしい名物の「長江魚」料理を食べるべく、入った店では麺の量がこんなでした。誓って言いますが、伸びたわけではなく、最初からこの量だったのです。原湯麺という品でスープに味が全然ついてなく、食べていくうちに飽きてきて(麺も正直あまりおいしくなかった…)、なかなかしんどいものです。

星期六(土曜日)の特価料理は「川味餅(?)魚19元」とあります。これを注文したのですが、見た目が違うような…まあいいか。淡泊な白身魚を揚げた後、醤油系のもので炒めているのですが、味付けや魚の臭みは非常に薄く、唐辛子の辛さと油のコクが強かったです。小骨を取ながら食べるのが少々面倒でしたが、こちらはおいしかった。2品で合計34元となりました。お通し代で2元加算している感じです。

こんな量の料理を出すくらいだから、多人数のお客さんで賑わったレストランであろうと想像するかもしれませんが、決してそうではありませんでした。御覧の通り、1人客もいらっしゃいますし、2〜3人客も多かったのです。それなのに、デカ盛りサイズしかない…だと…?もちろん、よく観察してみると、空いたばかりのテーブルにはどこもお皿やお鍋にはあまった料理がこんもり残されていました。うわー!もったいない!貧乏くさくてすみません。
やはり、残す前提なのでしょうね。


こんな調子なので、このようなレストランに彷徨い入ってしまったときは、直感的に「これは残すのが常識のレストランだ…」と思ってしまったものです。しかし、もう入店してしまったからには、2皿を頑張って食べれるかどうかが勝負どころなのです。

ガラーンとした部屋のどこのテーブルにご案内されるのだろうと思いきゃ、通されたのは、ぐるぐるテーブルを回すタイプの小部屋でした。こんな大きいテーブルで、我々は2人肩を寄せ合うように並んで座り、頭を寄せ合って料理を頂きました。

最初に持ってきてくれた、たっぷりと入った二種類のお茶です。左のが良くある普通のお茶だったのですが、右側のはクセのない少し甘さの感じるお茶でとても飲みやすかったのです。原料が何なのか知りたくてウェイトレスさんに筆談で聞いてみたのですが、文字が書けないらしく結局名前は分からず仕舞でした(めっちゃよく笑う愛嬌のあるウェイトレスさんだった事は追記しておきたい)。

ここで注文したものは、干掬海皇粉糸(ビーフン)と農家合渣(スープ)です。ビーフンはしっかりとした味付けでザリガニ?のダシがよく効いていたし、噛みごたえの食感もとても良かった。スープは大豆の青臭さや濾しきれていないザラザラさが残っており、それがまたいいアクセントになっておいしかったです。中国の割りに味が濃かったと思います。そして思った通りの量で、この2皿を食べ切るのが精いっぱいだったのに、事もあろうか、頼んでいない「遅味軒(店名)特製の薄脆餅」と「お米」が出されました。薄焼き煎餅は甘くてとてもおいしかったのですが、お米はほぼ食べていません。それなのに、お米代として8元、レジで取られてしまいました(全部で62元)。この時は納得がいかない思いでお腹も胸もいっぱいだったのですが、次第に、食べ切れない量であろうとお米を出すことは中国レストランの流儀になっているのかもしれない、と思うようになりました。


宜昌で連泊したホテルの近くのレストランに入った時のできごとです。
火鍋といえば四川名物なのですが、宜昌市では多くの店が「重慶(チョンチン)火鍋」としてやっていました。我々がこの店に入ったのも火鍋にチャレンジするためでした。しかしながら量といい、辛さといい、ショッキングな具材と言い、どれをとっても我々は完敗してしまったのです。結局、全部食べ切れず、そこそこ残してしまいました。

この量を見よ。別皿でついてきた白菜・ビーフンはほとんど食べれませんでした。鍋の表面を覆いきっている鶏肉の油がぎっちょんちょんで、天井の白電灯を映し出して揺らめいていました。油層が厚そうでした。

流儀の「お米」ももちろん出されました。当然ですが、注文もしていないし、食べれません。

多くのレストランではテーブルの隅にステッカーが貼ってあり、それらはデザインが違っていても同じ事が書いてあります。「食べ物を残すな」と。食べ物を残すことに気にしてしまう民層が存在しているのでしょう。御堂筋や四ツ橋でも「電車の入口は広く開けてあげましょう」とか「目の見えない人には親切にしましょう」と、語尾に「♪」と付けたり、小さなステッカーで貼ってありますが、これと一緒ですね。別に社会問題になっているから、という訳ではないと思います。控えめを装って、「これが正しい事だ」と宣伝したいのだと思います。

相棒がおもむろにしゃぶっていました。
「それ何?」と聞くと、骨付きの鶏のひづめでした。ホテルの朝食で出てくるひづめと違って、カリカリと皮(?)が干からびていたので、どうやって食べるのか、それともダシを出すために入れてるのか?ここがすごく悩むところでした。

だって、こういうのも入っていたんですもの。え?これも食べれるの?
鶏一羽を丸ままぶった切って入れている感じでしたね。
これをつまんだのはカシ女。アゴのトサカ部分を箸でつまんで繁々と眺めるも、ソレが何なのか見当がつかなかったのです。そもそも頭が入っているなんて思わなかったものですから、カシ男に指摘されて、あ、逆さまにすると確かに頭になるわ!と驚愕しましたねえ。好奇心でトサカを食べてみたのですが、プヨッとした厚い皮に似ていました。こちらの火鍋は88元とかなりお高め、値段見れば2人で食べるものではないと分かります。

レストランで食べた場合、注意すべきことに「量」のことばかり強調して書いてしまいましたが、他にも特徴は探せばいくらでもあると思います。「ショッキングで珍しい具材」もその1つであるし、他に挙げるべき特徴としては「香辛料を良く使う」という事があります。 何度も言いますが、これらは屋台では経験することのない事柄です。

武漢で泊まったホテルの近くにあったレストランで頂いた晩御飯です。中国では水餃子がメインで、実際、このような感じの水餃子を何度も食べましたが、焼き餃子は一度も見かけませんでした。そこで水餃子の位置付けが知りたいのですが、これは日本で言う「味噌汁」なのでしょうか?それとも「主食(お米やパンなど)」と同等なのでしょうか?
というのも、味噌汁と言うにはスープがとても薄味であり、ほんのわずかに味覚の彩りになっているのは、ほぼ餃子からにじみ出るダシや甘味だったからなのです(たまに塩味をつけている屋台もありましたが)。あまりにも薄味なので水餃子は、ご飯のおかずではなく、脂っこい炒め物や香辛料の効いたおかずの合間に食べるご飯のようにも感じます。例えば、下写真の炒め物のような。

香辣花甲という料理で、名前でイメージは湧くのですが「花甲」はアサリのことです。「辣」とあったので、辛さ恐怖症となっている我々は「辣は控えて欲しい」と店員に注文をつけたのです。例のニワトリ頭入り火鍋の話に戻りますが、店員に辛さの度合いを訪ねたところ「一般家庭並みの辛さだ」という返事であったことにすっかりだまされてしまい、汗が噴き出すほどとてつもなく辛かった事が、ショッキングな具材よりつらかったという事があったからなのです。ニンニク1粒まるまるがどっさり、底を掬ってみれば山ほどの山椒、鶏肉と入り乱れた赤や青の唐辛子といった具合に。
運ばれて来た花甲料理は、見た目的に唐辛子少な目でいい感じでした。どれどれ。貝のダシが効いてさぞかしうまかろうと思い、貝殻から外した身を口に運びます。はい、確かに辛くはありませんでしたが、舌が痺れるような刺激がやたらとするのです。何を食べたんだろうとスプーンをよくよく見てみると、貝にたくさんの山椒の実(茶色で分かりづらい)がまとわりついていたのです。日本のような山椒のフリカケレベルではなく、実を思い切りよく使うのです。
後で知ったのですが、辣は唐辛子系の辛さ、麻は山椒系の辛さといった風に、辛さが分かれるのだそうです。つまり、辣だけを減らしても意味はなかったのでした。この日の夜は、一粒一粒ずつ山椒の実を箸でつまんで別皿に移しながら食事を頂きました(63元)。店の中国人は変な日本人だと思っただろうな。





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